「カナリア俳壇」72

 皆さんも台風のニュースにはらはらしておられることでしょう。被害が最小限度にとどまることを祈るのみです。台風後の大風にも十分ご注意のうえお過ごしください。

◎子等は来ず三度(みたび)コロナの盆迎ふ     作好
【評】無念の気持ちがよく出ています。死者が戻ってきてくれても生者が来てくれなければ詮無いですね。

○送り火の静かに灯る里の暮れ     作好
【評】うつくしい調べの句です。「静かに」は言わずもがなですので、「おちこちに灯る送り火里の暮」などとすれば、「里」に広がりが出るかもしれません。なお、送り仮名(「里の暮れ」の「れ」)は省略したほうが引き締まります。

△窓を開け月跨ぐ雨手に受けり     白き花
【評】「月跨ぐ雨」の意味がつかめませんでした。「月隠す雨」なら理解できます。また、「受けり」は文法的な間違いです。「受くる」としましょう。

◎秋の海窓開き貝を繋げをり     白き花
【評】「窓開き貝(まどあきがい)」という言葉がロマンチックですが、作者の造語でしょうか。紐を通して、ネックレスを作っているのかもしれませんね。すてきな句です。

△~○子らの声もどる校庭運動会     千代
【評】句意は鮮明ですが、事実報告にとどまっていて、詩的なときめきが今一つ伝わってきません。「もどる」と説明せず、子らの声を具体的に描写できると作者のオリジナリティーが出そうです。

◎妹と歩く川辺や曼珠沙華     千代
【評】「妹と」で詩になりました。郷愁をさそう句です。季語もいいですね!

◎月白や蒸し器の湯気の立ち上り     妙好
【評】お団子を蒸しているのでしょうか。月白の「白」が湯気と重なり、「立ち上り」が月の出を連想させて、技巧的にも上々の句です。

○秋澄めり一番鶏の語尾長し     妙好
【評】季語の雰囲気がよく伝わってきます。上五が述語で終っていますので、下五もまた述語で終ると読後感がくどくなります。下五は「長き語尾」と名詞止めにしたほうが、すっきりした印象になります。

○~◎丘の路触れて零れる萩の花     美春
【評】郷愁をさそうロマンチックな句です。文語体ですと「零るる」となります。また、作者を主語として仕立てるなら、「零せる」とするのもよいでしょう。

△~○送り火や消へゆく門に風真白     美春
【評】まず、終止形は「消ゆ」ですので、「消え」と活用します(「消ふ」なら「消へ」ですが…)。また、消えゆくのは送り火ですので、上五を「や」で切らないほうがいいでしょう(つまり内容的に切れてはいません)。「送り火の消えゆく門辺風白し」など。

◎爺と児が小河豚釣りあぐ夏の浜     久美
【評】しみじみと心にしみる句です。大きな景もいいですね!

△児らと来るアスレチックに秋茜     久美
【評】「アスレチック」が漠然としていますので、具体的な遊具を示すほうが読者には親切でしょう。でないと、秋茜がどこに止まったのか、あるいはどこを飛んでいるのか映像が浮んできません。

○~◎荻の声駿馬の耳のよく動く     音羽
【評】「声」と馬の「耳」を関連付けるところなど、「技あり!」と言いたいほど上手いのですが、その上手さが目立ち、作為が前面に出てしまっています。「荻の風」くらいにしておいたほうがいいかもしれません。俳句に親しんでいる人なら、「荻の風」が「荻の声」の傍題であることにきっと気づいてくれるはずです。

○菜を刻む音の軽さや今朝の秋     音羽
【評】鋭敏な感覚の句です。ただ、「音の軽さや」という措辞と(音の種類は様々ですが)、「今朝の秋」を取り合わせた句はよく見かけますので、やや類想的でしょうか。

◎光放つ夕日の中の猫じやらし     万亀子
【評】一読したとき、上五の字余りが気になりましたが、読み直している内に、「猫じやらし」という軽やかなものをこんなふうに重厚なイメージで作るのもいいかもしれないという気がしてきました。たしかに夕日の中では鋼のように見えます。

○今年また庭に放せし鈴虫が     万亀子
【評】「鈴虫が鳴き出した」の「鳴き出した」の部分が省略されているのですね。しかし「が」で終ると一句の形が美しくありません。「放ちたる鈴虫今宵鳴き出せり」などもう少し考えてみてください。

◎敬老日はがきはみ出す児の手形     織美
【評】手形を送ってくれるなんて最高のプレゼントですね。しかも葉書をはみ出しているところが、児の成長すら感じさせます。

△~○まだ取れぬママの秋思のおむつの児     織美
【評】「まだ取れぬ」は、秋思とおつむの両方に掛かるのでしょうね。しかし構造がやや複雑になってしまい、その分すっきりと読めません。できるだけシンプルな形に推敲しましょう。あくまで一例ですが「秋さびし両手に重き児のおむつ」など。

○板の間に蹠ひいやり秋更くる     智代
【評】感覚的な句でたいへんけっこうです。「蹠」は「あしうら」または「あなうら」と読みますので、中七が字余りです(ちなみに多くの俳人が使う「あうら」は誤用です)。「板の間の足ひんやりと秋更くる」くらいでどうでしょう。

○きちきちのもの言いたげに揉み手かな     智代
【評】一茶を思わせるおもしろい句ですが、「揉み手」は言い過ぎです。「きちきちのもの言ひたげに足すれり」としてみました。

○奥宮の奥の静けさ望の月     徒歩
【評】どっしりとして風格のある句ですが、「奥」の重複がすこし気になるのと、静かなのは自明との印象を受けました。また、こうした句境は過去に詠み尽くされていますので、21世紀の「望の月」を開拓してほしい気もします。

○はにかめる勝利投手や律の風     徒歩
【評】プロ選手だと「はにかむ」こともないでしょうから、学生でしょうか。そのへんがはっきりと分かるといいですね。「律の風」との取り合せは新鮮です。

◎自転車を倒して男の子飛蝗追う     ゆき
【評】とても生き生きとしたスケッチです。「追ふ」と表記しましょう。

○水茄子の塩漬けがぶり汁飛べり     ゆき
【評】「がぶり」が表現としてすこし幼いので、「水茄子の塩漬噛めば汁飛べり」でいかがでしょう。

△~○明け方の菜園涼し畝つくり     ちづ
【評】「涼し」は、「本来なら暑い時間帯なのに、涼しく感じるよ」といった意味合いで用いる季語ですので、「明け方」には使いません(つまり明け方に涼しいのは当たり前なのです)。「夏暁の菜園に来て畦つくり」などご一考ください。

◎くるくると回す花火に児も回り     ちづ
【評】リズミカルでとても素敵な句です。わたしの心も浮き浮きとしてきました。

◎雲上に咲く花あらむ曼珠沙華     永河
【評】一句の背景には親しい人を弔う気持ちがあるのでしょう。たとえば下五に桜などをもってくると、曖昧で頼りない句になってしまうところですが、曼珠沙華という印象鮮明な花をもってきたことで、われわれの意識がしっかり現世につなぎとめられています。

○開け放つ本堂の風法師蝉     永河
【評】格調が高く、句形もどっしりとしています。ただし寺社と法師蝉との取り合せはすでに詠み尽くされた感があります。「本堂の風」でなく「本堂へ風」でしょうか。

△石榴熟る落下せぬやう網張れり     多喜
【評】「落花せぬやう」は作者の解釈です。作者は見たままを述べるにとどめ、解釈は読者に委ねましょう。むしろ、どんなふうに網を張ったのか、もっと詳しく描いてほしいと思います。幹と枝を結んだのですか。それとも地面に杭を打って、そこに網を括り付けたのでしょうか。「枝枝に網を巡らし熟れ石榴」など。

○台風の来る暁や茜雲     多喜
【評】日本画風の淡い描写で、そこに趣がありますが、油絵的に荒々しいタッチにしてみたい気もします。「颱風の来る暁の空真つ赤」など。ただしこれは好みの問題です。

◎鬼の子の赤き手のやう火焔茸     維和子
【評】この頃ニュースでも火焔茸のことが話題になっていますね。触れるだけでも危険な猛毒があるとか。的確な比喩で、この句を覚えておけば触れずに済みそうです。

○秋陰のふるさと入る予報円     維和子
【評】「台風の予報円」と言ったほうがいいでしょう。「ふるさとが隅に台風予報円」と考えてみました。

次回は10月11日(火)の掲載となります。前日10日(スポーツの日ですね)の午後6時までにご投句いただけると幸いです。河原地英武

「カナリア俳壇」への投句をお待ちしています。
アドレスは efude1005@yahoo.co.jp 投句の仕方についてはこちらをご参照ください。


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