先々週の木曜日に「競技スポーツ化させられる学びと育ち(1)」という記事を書きました。学びも育ちも本来は、非常に多様なものであるはずなのですが、それがまるで競技スポーツのように均一なものとして認識され、そういう誤った認識のもとに様々なことが行われているのではないかということを書きました。記事の最後でこちらのtweetを掲載しました。
評価研究者の端くれとしていくつか。
1、数値評価は独り歩きする。
2、評価項目は評価主体にも評価対象にも内面化する。
3、評価できないものは評価されない。評価できないものの方が大事なことも多い。
4、評価は1度導入すると廃止が難しい。 https://t.co/widKTOwant— 福嶋尚子to子どもが排除されない学校に (@to00556874) February 9, 2022
リンク先は読めなくなっているようですが、元の記事である「若手教員の授業を数値で評価へ 大阪市教委、子どもにはアンケート」は有料ですがまだ読めます。記事のタイトルにあるように、次の4月から大阪市では、若手教員の授業を退職した元教員が数値で評価すること、子どもたちからアンケートを取ってその結果も使うことなどが書かれています。そんなことのために元教員を再雇用するお金があるなら、困難のある子どもたちをサポートするために使ってはどうかと個人的には思うのですが、こちらの動画が問題点をわかりやすく語っていました。
教員を評価してランク付けのようなことをするのは、現在ではさほど珍しくなくなっています。給与や賞与などに反映させるところもあります。ちなみに大阪市では、評価結果がこのように公開されています。
ですが、「良い授業」、「良い教師」とは具体的にどういう授業や教師を指すのでしょうか? 競技スポーツの勝者のように、「こういう授業をする教師だ」と決めることができるのかというと、無理ではないかと思います。どんな授業が良い授業であるかは状況によって異なりますし、そもそも教員の仕事は授業だけでもありません。さらに競技スポーツは、すべての選手が基本的には同じ条件でパフォーマンスを競いますが、学校も地域環境も、子どもたちの特性や家庭環境も、千差万別です。
教師への管理と評価の行き過ぎが、子どもたちへのしわ寄せとして現れているという指摘もあります。
学校から薬を勧められる「発達障害」の子どもたち 発達障害の児童はこの13年で10倍に増えているhttps://t.co/XkmuneNJ3W「「発達障害」とされる子どもを排除する一因が、教員への管理強化だ。2000年以降、教員への人事評価制度が徐々に導入され始め、2016年に義務化された」
— 本田由紀 (@hahaguma) March 7, 2022
次回は、子どもたちの評価および管理についてみていこうと思います。
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