こころ野便り~農業について思う。再出発編 その8

「人は、変れる。いつでもやり直せ。」弟は、私と一緒に畑で働いた。そして家庭を築き設けた娘は、もうすぐ成人する。紆余曲折はあったが、助産婦さんの励ましの言葉が、現実のものとなって行った。野菜作りは、畑の土作りが進めば農薬の使用量は減らせる。どんどん減らしてそのうちゼロに出来るだろうと思っていた。しかし、一向に病害虫の発生は、無くならない。弟が与えてくれた教訓が、畑にも当てはまるかもしれない。そんな予感がした。助産婦さんのおっしゃった「あるがままでいいのよ」と言う言葉が何度も頭の中を巡る。言葉としては分かる。しかし、様々なしがらみの中でそれを受け入れられない自分が居る。自然の摂理に従った農業を理想としながら害虫や病原菌の存在を否定することの矛盾に気付いた。どんなに高価な、肥料や堆肥をふんだんに使って土を肥やしても、虫や菌の存在を否定していては、農薬の使用を止めることは出来ない。
昔、祖母が水田の事を「田」畑の事を「野」と言っていた事を思い出した。農業が必然的有機農業だった時代、様々な生き物が田や野では米や野菜と共存していた。百姓たちは、病害虫を良しとはしないまでも苦労しながら共存関係を保っていた。祖母が言う「田」や「野」には、神様がお住まいに成り、魂が宿っていたのではないかと思うようになった。事実、田の神信仰や夏の虫送り等の行事が残る地域も有る。母も子供の頃、松明を炊いてあぜ道を練り歩く「虫送り」をしていたという。これは、「飛んで火に入る夏の虫」を期待した防虫行事ではない。(母は、そう思っていたらしいが)収穫の為に犠牲になった諸々の命を供養する為の行事だ。古来、日本人は、自然を大切にしてきた。太古からの思考が仏教思想と結びついた文化だと思うが、それを現代の農業に取り入れる事で自分の思う理想的な野菜を育てられるのではないか。魂の宿る畑に農薬を散布しないでおこう。北海道、岩見沢の丘の上から見た景色に感動し、森の中で受けた心地よさから始まった自分の理想とする農業への旅は、石狩川の様に大きく蛇行した道程を進んで来たが、いつの間にか河口まで来てしまった。小さな筏に乗った私は、農薬を使わないと決断し、海に出ることした。祖母の言う「野」と言う言葉の響きが好きだった。魂の宿る畑を「こころ野」と呼ぶことにした。

京滋有機農業研究会 会長の田中真弥さんが無減農薬野菜などの宅配サービスの会員向けに連載しているコラム「こころ野便り」を当サイトにも掲載させて頂いています。前回はこちら


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