「赤毛のアン」ってアニメや絵本は知ってるけど、ちゃんと読んだことないなと思って村岡花子訳を読んだのが2008年。その後、年に1冊くらいのペースでシリーズを読み、昨年漸く最終巻「アンの娘リラ」を読み終えたので、今年は「赤毛のアン」を再読しました。前回読んでから13年。今は「赤毛のアン」の邦題は使わなくなってるそうですが、年を13重ねると読む側にも新たな発見がありました。
まず、物語の舞台となっている、美しいアヴォンリーの風景。アンが「輝く湖水」「恋人の小径」「オーチャードスロープ」などロマンチックな名前をつけて愛したグリーンゲイブルズ周辺の描写は魅力的。カナダのプリンスエドワード島を訪れる観光客の人気を集めているのは以前から知っていたし、キレイだなとは思ってました。でも、昨今のコロナ禍で繁華街を避け、植物園だったり、上賀茂神社だったり、屋外で過ごすことが増えたことで、身近な四季の木々や花々の美しさを見て来たので、よりリアルに感じました。
男の子を引き取るつもりだったクスバート家に引き取られたアンが初対面のリンド叔母さんに癇癪を起したり、アンのことをからかったギルバートの頭を石板でたたいたり、心の友ダイアナを酔わせたり、ダイアナの妹の急病を的確に看病して救ったり。様々な事件を起こしながら成長していく姿が描かれていますが、アンを引き取ったマリラと同世代になった今、読むと、すぐに物思いにふけって現実が見えなくなったり、常にしゃべり続けているアンは、利発だけどかなり育てにくい子だったことに気づき、マリラの育て方が見事だと痛感しました。ギルバートと競うことで勉学に励み、優秀な成績でクイーン学院に入学することになったアン。希望に満ちた未来あるアンがマリラ達の元を離れる時の寂しい気持ちを読み、東京の大学に通う為に京都を離れていた時の母のことを、ふと思い出しました。実家に帰省した日は母が饒舌になること、暫く滞在して再び東京に向かう時にとても寂しそうにしていたこと。東京に戻れば娯楽もたくさんあって友人達もいる私よりも一人娘を送り出す母の方が数倍寂しかったんだと気づきました。またシリーズを読み返して、三度読むことになったら、今度はどんなことを思うでしょうか。(モモ母)