コロナ禍に加え、土砂災害のニュースも飛び込んできて、不安が募る一方ですが、皆さんはお変わりなくお過ごしのことと思います。俳句は時候を問いません。この時期ならではの句に挑戦したいものですね。
○夕の庭いつもの枝に夏茜 美春
【評】静かできれいな句です。俳人はしばしば「夕の庭」としますが、語感がよくありません。「庭」はなくてもいいでしょう。「夕暮のいつもの枝に夏茜」。
○庭先の胡瓜毎日見詰めらる 美春
【評】胡瓜を主語にしたわけですね。俳句では受動態より能動態を用いたほうが端的で力強くなります。また、「毎日」より「毎朝」のほうがより的確になります。「庭先の胡瓜毎朝見つめけり」。
○窓の外見る児に梅雨の続きたり 織美
【評】ポエムを感じさせる句ですね。このままでもけっこうですが、梅雨というのはもともと続くものですので、下五にもう一工夫あってもいいかもしれませんね。「窓の外見る児に梅雨の雷一つ」など。
△雲わきて少年の汗部活動 織美
【評】「~て」という形は切れが中途半端になるため、俳句では避けたほうがよいとされます。また、どんな部活動か、知りたいところです。「野球部の少年玉の汗ぬぐふ」など。
△木漏れ日を糸に絡ませ浦島草 音羽
【評】言葉の芸としては面白いのですが、実感に即して言えば、釣糸に見立てた蔓状の部分を「糸」というのは無理がありますし、それに木漏れ日が「絡まる」という認識にもあまり共鳴できませんでした。
○炎天に叩いて干せり夫のシャツ 音羽
【評】シンプルな構図で面白い句です。切れを入れ、「炎天や叩いて干せる夫(つま)のシャツ」、「炎天下夫(おっと)のシャツを叩き干す」などとするのも一法でしょう。
○頬紅の淡き一筆半夏の夜 智代
【評】耽美的な句ですね。「頬紅の一筆」とすると「一筆」が強調されますが、語順を入れ替え、「頬紅」のほうに力点を置いた方がより美しくなります。「一筆の淡き頬紅半夏の夜」。「一筆」の代わりに「ひと刷け」、「ひと塗り」とする手もありそうですね。
○母の帯幽かに匂ふ薫衣香 智代
【評】「薫衣香」が夏の季語ですね。きれいにまとまった句で、このまま残してくださって結構ですが、技巧的なことをいうと、このような衣類にまつわる季語を用いる場合は、「帯」などのような近い語は避けるのが一般的です。つまり飛躍を追求したい。また、「幽かに匂ふ」は言わずもがな、となります。「遠き日の母のちさき手薫衣香」「母亡くて早二年や薫衣香」等々、回想と結びつけて作るのも一法です。
◎夏の夜や友と母校の七不思議 マユミ
【評】面白い句です。たしかに学校にはよく七不思議がありますね。怪談話ですから「夏の夜」がぴったりです。
△~○卓袱台に赤黄箸置き沖縄忌 マユミ
【評】赤黄箸は沖縄特産ですので、沖縄忌ではつき過ぎですね。それとあの箸は明るいイメージですので、忌日との取り合せはどうでしょう。「晩涼や家族そろひの赤黄箸」など、季語にご一考を。
○給食の枇杷の実種を比べあふ 妙好
【評】なつかしい情景です。「実」「種」がやや窮屈ですので、「給食の枇杷食ぶ種を比べあひ」でどうでしょう。
△七月や電子書籍を買ひ足して 妙好
【評】季語があまり効いていません。「電子書籍」は前書にして、具体的にどんな本を買い足したのか書いたほうがいいかもしれません。
◎封じ手は朱書五文字や風涼し 聡美
【評】類想のない句です。「朱書五文字」も力強く、インパクトがあっていいですね。封じ手がわからない人はネットで調べましょう。わたしもそうしました。
△~○蛭の子の生命線に入る太さ 聡美
【評】句材はユニークですが、今一つ情景が見えてきませんでした。「太さ」というより「細さ」では?「入る」もやや曖昧な気がしました。
△山門の睡蓮鉢に今朝咲けり 多喜
【評】言葉を詰め込みすぎです。音読すれば、とても読みづらいことに気づくはずです。「俳句は引き算」ともいいます。「山門」も「今朝」も要りませんので、もっとすっきりさせましょう。
△本堂へ風鈴の音に迎へらる 多喜
【評】すこし上手な俳人はよく「迎へらる」を使いますが、わたしは感心しません。「迎えられる」というのは作者の主観的な解釈です。そのような解釈を述べず、ありのままを写生することが大事です。本堂のどこで風鈴が鳴っていたのでしょう。読者に「風鈴があなたを迎えてくれたんですね」とコメントしてもらえるように作るのが俳句の要諦です。
△梅雨の中小さき蟷螂地を這へり 好子
【評】「梅雨」も「蟷螂」も季語です。「蟷螂」を季語として作るのであれば、上五は「雨の中」としましょう。
△法灯にゆらぐ梅雨ざめゆれうごく 好子
【評】「梅雨ざめ」という語がよくわかりませんが、いずれにせよ「ゆらぐ」と「ゆれうごく」の重複が気になります。もうすこし言葉を整理してください。
△蚊遣香花殻を摘む庭先に 千代子
【評】この蚊遣香は誰が置いたのでしょう。「庭先に」はご自宅のことかと思ったのですが、とすれば、知らない間に誰かが自分の庭先に蚊遣香を置いていったのでしょうか。状況が今一つわかりませんでした。
◎スタッフの汗やワクチン接種場 千代子
【評】まさに現代の世相を切り取った一句ですね。「スタッフの汗」に着目したところが大変けっこうです。
△切られたる髪の一盛り不死男の忌 徒歩
【評】何かおどろおどろしい感じで、B級ホラー映画の一場面を思わせます。上五中七が思わせぶりなのです。もっと素直かつ明朗に作ったほうが季語も生きると思います。
○~◎信長忌鋏の螺を少し締む 徒歩
【評】面白い句ですね。「少し締む」が窮屈ですので、下五を「締め直す」くらいにしたほうがゆとりもでき、耳にも心地よい気がします。
○~◎紫陽花に水滴りてイヤリング 白き花
【評】詩的でロマンチック。都会的な雰囲気も魅力的です。「水滴りて」の「て」が中途半端ですので、「紫陽花に水の滴りイヤリング」とすると、さらに句が引き締まるように感じます。
○蛍指し星の種よと言ふ娘 白き花
【評】これもロマンチックな句ですが、最後の「言ふ娘」があまりよくありません。この形で終ると、「こんなことを言う私の娘は可愛いでしょう!」という親ばかの(失礼!)句になってしまいます。内容的には同じであっても、たとえば「蛍指し星の種よと子は言へり」とするだけで、文学的な格調はぐんと高まります。
○~◎捩花をひとつ残して庭仕事 万亀子
【評】このような素直な作りの日常吟は、読んでいて心が休まります。作者のやさしい心根も伝わってきます。
△~○捕らへたる髪切虫の声険し 万亀子
【評】状況はよくわかります。ただ、「声険し」が今一つ漠然とした感じです。また「捕らへたる」もすこし説明的です。たとえば「手のなかの」のように目に見える形で描写するとさらに具象性が増します。
△~○甘露忌やとくとくと杯溢れしむ あみか
【評】「甘露」という語は、甘い霊液を意味し、甘露酒を連想させます。つまり、とくとくと注ぐお酒とつき過ぎです。このような場合は、「とくとくと杯溢れしむ不死男の忌」としたほうがよいと思います。俳人であれば、「不死男の忌」すなわち「甘露忌」だと合点するはずです。
△鉾立のある七月が来たりけり あみか
【評】好意的に解釈すれば、去年はコロナ禍のせいで鉾立がなかったので、今年はやれやれと安堵した気持ちが表れた句ということになるでしょう。しかし前書がなければ、当たり前の内容になってしまいます。「鉾立」も「七月」も季語で、その点もいかがか。仕立て方次第で(つまり高度な技法を使えば)、前書抜きでも胸をうつ句ができる気がします。
△夏の雨雨粒落ちて波紋なり ゆう
【評】夏の雨でも冬の雨でも、雨粒が落ちれば、水たまりに波紋ができます。つまり、「夏の雨」が効いていません。「波紋なり」も日本語表現としてやや難を感じます。
△ザリガニに吾子指差して威嚇され ゆう
【評】「威嚇され」のように下五を連用形にするのは川柳の作法です。俳句は終止形で収めたい。「威嚇」は観念語です。作者はなぜザリガニが威嚇していると思ったのか。そこを目で見えるように描くと俳句になります。「指を差す吾子にザリガニ鋏上ぐ」。
○~◎五月雨の釣り人腰より煙りゐる 永河
【評】たしかな俳句の目を感じさせる写生句です。切れがないのと、中七が字余りである点が気になりました。とりあえず「五月雨や釣り人の腰煙りゐる」「釣り人の腰煙りたり五月雨」と考えてみました。
○~◎夕虹や足を摩れば母多弁 永河
【評】俳諧味たっぷりの句です。もっと明るさを出すなら「朝虹」でもいいかもしれませんね。「母多弁」がやや窮屈ですので、「足揉めば母は多弁に二重虹」などとするのも一案でしょうか。
△夕立や王冠続く銀の道 ゆみ
【評】俳句は童心で作ることが大切。この句は一見、童心で作られているように思えますが、果たして三歳児は共感してくれるでしょうか。雨粒が水たまりに落ちた瞬間、しぶきが上がって王冠に見えるのは、テレビの科学番組からの知識です。つまり、これは童心の句のように見えながら、実は大人の知識から作った句だといえないでしょうか。「銀の道」は残してよいと思いますので、「王冠続く」を別の表現にしたいところです。
○遠雷か雨戸を閉める音に似て ゆみ
【評】鋭敏な感性の句です。たしかに旧家の古い雨戸なら、閉めるときにゴロゴロゴロと雷のような音がしそうです。「音に似て」が表現として弱いので、重厚に作り替え、「遠雷か雨戸を閉むる音なるか」としてみました。
次回は7月27日(火)の掲載となります。前日26日の午後6時までにご投句いただけると幸甚です。河原地英武
「カナリア俳壇」への投句をお待ちしています。
アドレスは efude1005@yahoo.co.jp 投句の仕方についてはこちらをご参照ください。