新型コロナウィルスによって、生活が制限が多く窮屈なものになってから、そろそろ1年。窮屈な生活に慣れることはなく、この生活がいつまで続くのかという疑問は、うっかりすると暗い想像ばかりになります。
節分を過ぎ、暦の上ではもう、春。そういえば最近、夜明けが少しずつ早くなってきたのを実感できます。明けない夜はない、やまない雨はない、というように、今の状態にもやがて終わりがくることでしょう。それまで、心を時々休めながら、暮らしたいものです。
春らしく、新しい心掛けのお話を・・・
ところで、私は先日から、「うれしかった経験を伝える努力をする」というのを試みています。仕事の中で、例えば気持ちよく対応してもらえたこととか、すごく的確に理解してサササササッと対応していただいた感動とかを、直接に間接に、表現し伝えることを心掛けています。
何が変わるかは、まだわかりません。ただ一つ、私自身の気持ちがなんとなくほんわかと温かくなる気はします。
先日、2日連続して、サササササッと対応していただける経験がありました。一つは薬局への問い合わせで、もう一つは地域包括センターへの問い合わせで。もしかすると、どちらも、対応している職員さんにとっては日頃の延長でしかないものかもしれません。でも、にこやかにテキパキと対応してくださったことで、ちょっと疲れていた私の心はリフレッシュされました。もしもそれが、相談しても説明してもイマイチな感じであれば、結果は同じものをもたらしたとしても、心までリフレッシュはされないことでしょう。
結局、人は人によって癒される部分もあるんだなぁと思いました。もちろん、美しい花によって癒されることもありますし、かわいい動物によって慰められることもあります。でも、人同士のつながりの中で、意思を相手が受け取り、きれいにラッピングするかのように大切に対応してもらえるというのは、「自分」と「相手」との間に何らかのものが生まれ、お互いの存在感を認め合っているように思います。
こういうのも、きっと社会参加の一形態なのだろうと、思います。