かわらじ先生の国際講座~岸新防衛大臣に望むこと

9月16日に発足した菅新内閣の防衛大臣に、安倍前首相の実弟である岸信夫氏が就任しました。この人事についてどう見ますか?

先日(10月26日)行われた首相の所信表明演説でも「外交・安全保障」という章立てがなされているとおり、安全保障は外交と並列される日本の対外政策の柱です。つまり防衛大臣は外務大臣と同格の主要閣僚ですから、岸信夫氏の人事は異例です。というのも彼は現在、衆議院議員3期目ですが、通例は5期務めて初入閣となるものだからです。そもそも政界に入ったのは45歳ですから年齢的には遅咲きですが、それでもキャリアからすればスピード入閣です。この人事に安倍前首相の強い意向と、前政権の路線継承を掲げる菅首相の特段の計らいがあったことは間違いありません。安倍政権下で外務副大臣や衆議院安全保障委員長を務めたことはありますが、こうした分野に格別精通しているわけでもないし、政治家として目立った業績があるとも言いがたいので、安倍氏の実弟という面が大きく作用しての人事だったのでしょう。

生後まもなく、岸信夫元首相の長男、信和氏の養子となり岸姓を継いだとのことですが、祖父が首相、叔父(佐藤栄作)も首相、実父(安倍晋太郎)が外務大臣、そして兄が首相と、まさに政治を「家業」とする「華麗なる一族」の一員なのですね。信夫氏もこの血筋のことは意識しているのでしょうか?

もちろんです。岸信夫氏が初登庁の日、自宅でインタビューに答えている動画がありますが、これを見ますと、祖父である岸信介氏への格別の思いが伝わってきます。

ついでながら、長男の岸信千世氏(29歳)が10月末でフジテレビを退職し、父親である防衛大臣の秘書になったそうです。やはり政界を目指すのでしょう。岸・安倍両家に限らず、日本の国会には世襲議員が多く、特に自民党議員の半数くらいはそうでしょう。G7の他の国の場合は1割程度とのことですから、日本は異様ですね。

懸念されるのは岸氏が自立した大臣としてではなく、安倍氏の傀儡として振舞うのではないかという点です。そうなれば現政権に不協和音が生じ、一種の二重統治に陥りはしないかと危ぶむのですが、このへんはどうなのでしょう?

たしかに安倍・岸兄弟の信頼関係は強固だと思います。安倍氏が首相辞任を決意した8月下旬、岸氏と電話で話し、非常に体調が悪いことを訴え、「最悪の事態も覚悟しておかなくてはならない」と語ったそうです(『読売新聞』2020年8月30日)。こんなふうに弱音が吐けるのも相手が実弟だからでしょう。しかし辞任後の安倍氏はかなり復調し、2度も靖国神社を参拝して自らの存在をアピールし、11月1日には郷里で墓参りをし、記者団には憲法改正への意欲を示しています。

 Yahoo!ニュース 
安倍前首相「憲法改正しない言い訳通用しない」 野党をけん制(毎日新聞) - Yaho...
https://news.yahoo.co.jp/articles/8a45ff04783577aa72f878726c68f773383f378f
 自民党の安倍晋三前首相は1日、山口県長門市で記者団に「安倍政権の間は憲法改正はしないと野党は言っていたが、今は菅政権だからその言い訳は通用しない」と述べ、憲法改正を巡り野党をけん制した。 8月

どうやら安倍氏はまだまだ現役として政権に深く関わりたい様子です。しかし岸氏がその橋渡し役をするのかは疑問ですね。二人は改憲論を始めとして政治信条の点では一致していますが、岸氏は防衛大臣という地位を得た今、安倍氏より立場が強くなりました。本人も岸姓を継ぐ「本家意識」があるでしょうし、地元には独自の支持基盤もあります。自ら踏み台になってまで兄に忠義立てする義理はありますまい。
各紙に新閣僚としての抱負が載っていますが、それを読むかぎり、岸氏はよく言えば穏健な発言に終始しています。たとえばミサイル阻止能力についても「しっかり検討しなければいけない。菅義偉首相から指示があり、年末までに方策を示し、速やかに実行に移すということだ。憲法の範囲内で、国際法を順守しつつ、専守防衛の考え方のもとで対応していく」と述べ(『毎日新聞』2020年9月29日)、とりあえずは無難な受け答えをしています。わたしは河野太郎前防衛大臣よりも安心できる気がします。ちなみに河野氏も祖父が河野一郎元首相、父が河野洋平元副総理・衆議院議長などを歴任した3世議員です。

河野前防衛相はどういう点が問題だったのですか?

イージスアショア配備撤回問題に際しても、地元や政府内で十分なコンセンサスが得られないまま発表するなど、独断専行型といいますか、野心家的なところが目立ったように感じます。8月4日の記者会見でも、中国の公船が尖閣沖での活動を活発化させていることに対し、「自衛隊としても海上保安庁と連携し、必要な場合にはしっかりと行動したい」と述べ、周囲をひやりとさせました。これは中国と一戦交えるかのようにも受け取れる発言で、政府としては「禁句」だったからです。少なくとも岸氏はこのようなスタンドプレーをするタイプではありません。

岸大臣に望むことは何でしょう?

民主主義国家では「文民統制」(シビリアン・コントロール)が確立しています。あくまでも「文民」が「軍」の上に立たなくてはなりません。戦前のように軍が政治を引っ張ることがあってはならないのです。日本の場合でいえば、防衛大臣が自衛隊関係者の利益の代弁者であってはならないのです。
10月26日から宮崎県の航空自衛隊新田原基地で日米共同訓練が行われていますが、それに参加する米兵約200人が宮崎市内中心部のホテルに宿泊することになりました。宮崎県知事や宮崎市当局はこれに抗議し、防衛省の中山副防衛大臣を訪ね、米兵は自衛隊基地内の宿舎に宿泊させるよう要求しましたが通りませんでした(『朝日新聞』2020年10月20日)。しかし米兵の一団が市内の民間ホテルを宿舎代りとすることは異常です。「民」の立場に立つならば、こんな時こそ岸大臣が英断を下し、宮崎県・市の要求に耳を傾けるべきでした。
他方、防衛大臣は自衛隊員の命を預かる重責も担っています。2015年に安保関連法が成立して以来、集団的自衛権は合憲とされ、自衛隊の海外における武器使用が許容されるようになりましたが、そのために危機に直面する可能性が高いのは一般自衛官です。大臣はこのことを忘れてはならないでしょう。一人の命も危険にさらさない状況を保つことこそが防衛大臣の務めです。
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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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