「カナリア俳壇」37

ようやく過ごしやすい時候になってきました。そろそろ吟行もしたいところですね。今回もご投句の順に皆さんの句を見てゆきたいと思います。

△あてがふや冷やしトマトに葱添えて    白き花

【評】「あてがふ」に悩みました。だれに出したのか明確になるといいですね。
「子の部屋へ冷やしトマトに葱添へて」など。

△~○差し伸べて滴るやうな月掬ふ    白き花

【評】「差し伸べて」も「掬ふ」も手の動作ですので、どちらか一方にしたいところです。
「手を伸ばす滴るやうな満月に」など。

○花畑見えかくれする霧の中    蓉子

【評】句意は鮮明ですので、これでも結構ですが、自分が花畑に近づいていく雰囲気を出すなら、「うすうすと霧のなかより花畑」とする手もありそうです。要はどうしたら詩情が出せるかですね。

○夏山の思ひ出語る友は無く    蓉子

【評】おおむね結構です。俳句は言い切ることが大切ですので、下五は「無し」と終止形にしましょう。お亡くなりになったのなら「亡し」でしょうか。

△青栗はたははに生りて零れたり    美春

【評】「たわわ」は歴史的仮名遣いでも「たわわ」です。「生りて」という連用形が説明的なので、「たわわなる青栗すこし零れたり」くらいでいかがでしょう。

△~○明け方に暫し現る鰯雲    美春

【評】「現る」だと虹のように突然出現した感じもするので、別の表現を見つけたいと思いましたが、いい案が浮かびません。日の出前ならまだ黒っぽいのでしょうか。そのあたりを描写する手もありそうですね。

◎あんま機に肩揺さぶられ秋惜しむ    音羽

【評】「あんま機」を句材にした作品は珍しく、新鮮でした。俳諧味もありますね。

△~○飴色に煮込む鰯に落し蓋    音羽

【評】句材は生活感があって大変結構ですが、せっかく「飴色」に煮込んだ鰯を読者に見せているのに、「落し蓋」で隠してしまうのはどうでしょう。「落し蓋」を使わず再考してほしいと思います。

△~○夢二忌やジーンズなれど柳腰    マユミ

【評】俳諧味があってユニークな句ですが、あまり夢二を偲ぶ気持ちは伝わりませんでした。たしかに夢二の絵を連想させたのでしょうが、それなら作為が見えすぎてしまいます。発想を切り替え、別の季語を探すのも一法でしょう。

○樽小屋に肉焼く匂ひ鵙日和    マユミ

【評】「樽小屋」とは本来樽を保管する小屋なのでしょうか。たぶん居酒屋として使われているのでしょうね。「鵙日和」と相まって、野趣のある句です。

△航跡を揺らす月光かぐや姫    妙好

【評】下五の「かぐや姫」で甘いムードに逃げてしまったように思います。また、月光が航跡を揺らすというとらえ方も、ちょっと共感しづらい気がしました。

○子をあやす障子の影絵秋灯下    妙好

【評】いい雰囲気の句です。一点だけ、影絵との接続上、「子をあやす」より「子に見せる」としたほうが素直な表現になるように感じます。

△醸したる麹の甘み秋深む    織美

【評】「醸したる」はなくても大丈夫でしょう。それよりも麹を醸している場所など、もう一つ具体的な「物」がほしいところです。全体に漠然としています。

○稲架を組む父手に唾を飛ばしつつ    織美

【評】よく情景が見えてきます。「稲架組めり父は両手に唾をかけ」でどうでしょう。「唾を飛ばす」だとちょっと意味が変わってしまう恐れがありますので。

△秋出水今に残れり褪せし門    多喜

【評】「東海豪雨から20年」の前書があります。横書きであっても俳句では漢数字を使ってください。すなわち「東海豪雨から二十年」とします。三段切れになっていますので、「秋出水今も残れる褪せし門」としましょう。ただ、この「秋出水」が今のことなのか、20年前の回想なのか、曖昧です。ちなみに俳句の読み手は、季語を現在只今のこととして受け止めます。

○旧姓を名乗る母なり秋うらら    多喜

【評】どういう状況かは読者に委ねているのですね。句会での場面でしょうか。それともご主人を亡くし、以後は旧姓で通すことにされているのでしょうか。明るい季語から察するに、別段深刻な意味はなさそうですね。

○片陰を選びて帰るランドセル    万亀子

【評】すなおに詠まれた句で、けっこうです。小学生とてこの暑さには参っているのでしょうね。

○父の忌の唱和するごと蝉時雨    万亀子

【評】これも結構でしょう。一箇所切れを入れ、「父の忌や」でいかがでしょう。

○~◎手の届く隣家の庭の無花果よ    徒歩

【評】俳句をやっていない人には「それがどうした」と言われそうですが、この面白さは俳句ならではのものでしょう。最後の「よ」が強すぎますので、あえて切れのない散文調にして「手が届く隣家の庭の無花果に」とすると現代俳句的で面白みが増しそうです。

△一丈で足れる釣竿虫の秋    徒歩

【評】「足れる」でなく「足る」のほうがすっきりします。つまり中七は「足る釣竿や」で結構でしょう。一丈は3メートルちょっと。かなり長い気がするのですが、「足る」を使うなら、いっそ「一尺で足る釣竿や虫の秋」でいかがでしょう。名人なら小枝ほどの釣竿でも鯛を釣り上げるかも。

△一文字に飛蝗咥へて縞蜥蜴     太万

【評】「一文字」の使い方がこれでいいのかどうか。「一文字にききりと口を結ぶ」などといいますが、トカゲの口は小さいし、バッタが横になった状態を一文字というのは違和感があります。写生がもう一歩でしょうか。

△英彦山(ひこさん)の裾に人待つ稲の花    太万

【評】英彦山の裾が田んぼなのでしょうか。その田んぼ脇で人を待っているのでしょうか。どうも俳句の構造が複雑ですね。なぜそこで人を待つのかも謎です。

△~○幼児の字の飛び跳ぬる良夜かな    えみ

【評】字に勢いがあることを「飛び跳ぬる」と形容したのだと思いますが、文字通り字が動き出しているようにもとれます。「幼子の文字の躍れる良夜かな」くらいでどうでしょう。

△地芝居の見せ場思はず役者顔    えみ

【評】地芝居の素人集団でも、演じている間は役者なのでは?それとも観客のほうが思わず役者顔になったということでしょうか。今一つうまく鑑賞できませんでした。

◎文預け会えずに帰る夕花野         永河

【評】さびしい感じが伝わってきました。やはりこれは秋の風情がよく合いますね。「夕花野」に詩情があります。歴史的仮名遣いなら「会へず」ですね。

○~◎身に染むや百歳の母マスクして      永河

【評】この感覚、よくわかります。個人的な好みとしては「~して」と流すより、名詞で止めたいところです。「身に入むや白寿の母の布マスク」など。百歳ではなくなってしまいましたが・・・。

△秋風や同窓会の中止受く    豊喜

【評】コロナ禍で中止になったのでしょうね。これはいわゆる報告俳句で、詩情不足です。「同窓会の中止受く」は前書として、その先を句にしてほしい気がします。

△閑かさや朝晩耳に虫の声    豊喜

【評】芭蕉の句の二番煎じの感がなきにしもあらずです。「閑かさや」と言わずに閑かさを表現できれば芭蕉の句を超えられるかもしれません。

次回は10月6日(火)に掲載の予定です。前日5日の午後6時までにご投句頂ければ幸いです。河原地英武

「カナリア俳壇」への投句をお待ちしています。
アドレスは efude1005@yahoo.co.jp 投句の仕方についてはこちらをご参照ください。

 


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