かわらじ先生の国際講座~WHOへの批判について考える

5月18日、19日のWHO(世界保健機関)総会では米中が激しく対立しましたが、29日にはトランプ大統領が脱退を宣言しました。6月5日にはブラジルのボルソナロ大統領も盟友アメリカに同調し、WHOからの脱退を検討すると表明しました。両国とも、WHOが中国寄りであると批判してのことですが、新型コロナウイルスの感染者、死者ともに世界第1位と第2位の国である点も注目されます。何か政治的思惑があるのでしょうか?
お察しのとおり、両国とも感染拡大を防止できなかった責任をWHOに転嫁したいという思惑はあるでしょう。ただ、WHOが中国寄りであるという指摘や、WHOが中国の情報隠蔽に荷担したために、パンデミックを引き起こしたという批判は多くのメディアが報じており、現段階では真相はわかりません。一つはっきり言えるのは、今回WHOに落ち度があったにせよ、そこから脱退するという行為は極端すぎるし、結局のところWHOは米中間の政争の具にされてしまっているということです。
一連のマスコミの報道をみますと、WHOそのものよりも、テドロス事務局長の中国べったりの発言が問題視されているように見受けられますがいかがですか?
たしかに彼の発言などを見ますと、中国政府のスポークスマンかと揶揄したくなる面もあります。そのへんは次のテレビ東京の報道番組をご覧下さい。

テドロス氏は中国の後押しで事務局長になったと聞きましたが本当ですか?
WHO事務局長の選出方法について少し説明します。WHOには194カ国が加盟しています。その加盟国の代表者が集まって総会を開きますが、通常の業務は、加盟国の代表者から選ばれた34名をメンバーとする執行理事会が行います。従来はこの執行理事会で事務局長が決められていましたが、選出方法が不透明であるとの批判を受け、2017年からは総会における選挙で事務局長を選ぶことになりました。そのWHO初の総会における選挙で選ばれたのがテドロス氏です。テドロス氏は決選投票で133票を獲得しました。第2位のナバロ氏(英国出身)とは50票の差をつけての大勝でした。任期は5年です。
テドロス氏はエチオピア人ですが、アフリカ勢としては初の事務局長だそうです。そして彼の勝因は、国数の多いアフリカ票をうまく集めたことによるとされます。ところで選挙戦では、中国もテドロス氏を推していました。中国は近年、アフリカに猛烈な勢いで経済進出し、様々な経済支援を行っていますので、アフリカ票を束ねるにあたって中国マネーがかなり動いたと言われます。アフリカ以外の国々に対しても中国の働きかけがあったとの憶測もあります。
特にエチオピアは、中国の影響力が大きいようですね。
エチオピアは「一帯一路」の重要拠点の一つで、鉄道建設なども中国の資金援助で行われています。中国マネーなくしてエチオピアの国家運営は成り立たないとさえ言われています。ですからエチオピア人であるテドロス氏は、事務局長になってからも中国の意向に逆らえないのだとの説もあります。しかしそうした憶測は、テドロス事務局長の権限の過大評価ではないかと感じます。
どういうことでしょう?
WHOは事務局長の一存で動く組織ではありません。WHOの中核である執行理事会は、保健や医療の専門家から成る組織ですから、その見識に基づいてまず判断を下し、その判断を事務局長が代表して述べるわけです。
それにWHO自体、ごく限られた権限と資金のなかでの活動を余儀なくされている機関であることを忘れてはなりません。WHOが各国の主権を越えて、独自に調査を行えるわけではないのです。どこかで感染症が発生した場合にも、その当事国が自己申告してWHOも動き出し、その国と協力しながら情報収集し、対策を練るしかないのです。新型コロナの発生源である中国と対立しては、WHOとしても肝心の情報が得られません。ですからWHOと中国の結託をあれこれ咎めることにわたしは違和感を持たざるを得ません。そもそもWHOは、時に相反する2つの使命があると私は考えます。
どんな使命でしょう?
1つは世界の保健問題に関して「炭鉱のカナリア」的な役割を果たすことです。まだ多くの国々の政府や人々が重大視しない問題に関しても、WHOが率先してその危険性を訴え、警鐘を鳴らすことが求められます。勇み足であることを恐れず、世界の人々に予防を呼びかける先駆け的な存在であってほしいと思います。
他方、それとは矛盾するように聞こえるかもしれませんが、「石橋をたたいて渡る」慎重さも重要です。医療問題に関しては、俗耳に入りやすい安易な「治療法」などが、十分な科学的根拠もなしに流布しがちです。われわれとしては、「WHOがそう言うのだから間違いない」と思える権威をもってもらいたいのです。
たとえば6月14日付『京都新聞』の国際面に「コロナ感染でも母乳『問題ない』」という見出しで、こんな記事が載っていました。「世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は12日の記者会見で、母親が新型コロナウイルスに感染した場合でも、乳児に母乳を与え続けることに問題はないとの見解を示した。母親が重症でない限りは乳児から引き離すのではなく、授乳を継続することをWHOとして推奨した。(後略)」
もしこの発言をトランプ大統領や安倍首相が行ったらどうですか。ちょっと疑いたくなりませんか。それと比べたら、テドロス事務局長の見解にはWHOへの信頼に裏打ちされた重みがあります。
WHOにもたしかに問題や限界はありますが、その威信を貶めたり、敵視したりする風潮をわたしは危ぶみます。かつて「ポリオ根絶計画」や「天然痘撲滅計画」を推進し、大きな成果を上げたのもWHOでした。そのWHOにもう分担金を払わないとか、脱退するとかいった脅しをかけることが得策なのか。WHO加盟国の大多数が途上国です。トランプ大統領の決断は、その途上国を敵に回すことにもなりかねません。この問題でわが国政府がどのような立場をとるか注目したいと思います。
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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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