子どもたちの学ぶ権利について、「時間」以外のことも考えたい、時間より大事なことを考えたい(2)

前回の続きになります。Covid-19の感染拡大がひとまずは落ち着いてきて、学校も再開されるようになりました。学校での感染をどう防ぐのかという課題とともに、3か月に渡る休校によって「遅れてしまった勉強」をどうやって取り戻すのかということも課題になっています。そして少なからぬ自治体で、夏休みの縮小や土曜日の授業実施、一日の授業時間数の増加などの方向性が示されつつあります。3か月も学校から離れざるを得なかった子どもたちにとって、感染対策でピリピリしている学校に行くのもしんどいことであるのに加えて、季節も梅雨から夏になる時期です。無理な「授業時間の確保」は子どもたちと先生方の健康を害することこそあれ、教育面の効果は期待できないのではないかと思います。前回は大阪府知事の方針を取り上げましたが、「それでは2学期の準備もできないぞ」という至極まっとうなツッコミ。


所詮は学ぶための手段に過ぎない「授業時間数確保」に、ここまで躍起になる背景は、「学ぶとはどういうことか」を深く考えないからではないかと思います。考えるためのきっかけとなる論考を、いくつか紹介したいと思います。
1つは、赤鼻先生として知られる副島先生の文章です。病気で入院している子どもたちのための院内学級から考えます。


病気も含めて様々な制約の中、「ワクワクドキドキする学び」をたとえ短い時間でも味わうことは、長い時間をイヤイヤ机に向かわされることよりも子どもの成長に意義が大きいと思います。逆に、「学校の授業がなければ何を学べばよいのかわからない」というのが仮に現実であるとすれば、それは私たち大人が、「学校ってなんだ?」ということをきちんと考えていない証かもしれません。
もう1つは、土佐町の議員でもある教育学者の鈴木大裕さんの論考です。


刺激的なタイトルですが、学校を否定しているわけではもちろんありません。学ぶことや成長することはもっと大きなもので、「授業時間確保」に必死になることは、本来の学びを狭い枠組みに閉じ込めて殺してしまう可能性もあるのだと思います。
そしてもう1つ。こちらの指摘も重要です。


「授業時間の確保」に躍起になるのは、テスト対策を何より重視しているからでしょう。大阪の吉村知事は市長時代に、全国学力テストの点数で各学校への予算配分や教員の給与を決めると言い出したこともありました。そういう「学習時間確保=点数確保=学習」という貧困な学習観は、教育産業の介入を招きやすくなります。「テストの点数上げてみせまっせ」というのは、大規模な教育産業のお得意とするところです。
なお、そもそも日本の学校は1クラスの人数が多すぎるのですが、これを機会に少人数学級の実現を求める動きもあります。私は院生時代にいくつかの小学校を見学させていただきましたが、20人程度のクラスであれば、45分の授業時間内に全員の子どもに発言をさせることができるのです。それより多くなると、黙ってすごす「お客さん」が出てしまいます。Covid-19を機会に教育の改革をというなら、9月入学よりも少人数クラスだろうと思います。


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西垣順子<大阪市立大学 大学教育研究センター>
滋賀県蒲生郡日野町生まれ、京都で学生時代を過ごす。今は大阪で暮らしているが自宅は日野にある。いずれはそこで「(寺じゃないけど)てらこや」をやろうと模索中。老若男女、多様な背景をもつ人たちが、互いに互いのことを知っていきながら笑ったり泣いたり、時には怒ったりして、いろんなことを一緒に学びたいと思っている。著書に「本当は怖い自民党改憲草案(法律文化社)」「大学評価と青年の発達保障(晃洋書房)」(いずれも共著)など。


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