昨日、3週間の公務を終えてタイのチェンマイから戻ってまいりました。この間、日本内外は新型コロナウイルスの問題で大変なことになっていますね(タイは比較的落ち着いていました)。
しかしこんな時こそ、わたしの先師である細見綾子が「ふだん着でふだんの心桃の花」と詠んだように「ふだんの心」を持ち続けたいものですね。
今回もたくさんのご投句をありがとうございました。
◎金縷梅や夫と歩みて五十年 音羽
【評】金縷梅は「まんさく」と読みます。花自体は地味ですが、他に先がけて春を告げる花としてめでたさがあります。字面も華やぎがありますね。自祝の句としてぴったりの季語だと思います。
◎相輪を掠め野鳩の春光す 音羽
【評】「春光」や「風花」などの季語を動詞化して用いることに否定的な俳人も少なくありませんが、わたしはケースバイケースで容認しています。この「春光す」の硬質な響きが近代的で、そこに新しい詩情を感じました。
△夫好む菜飯を久に食したり 蓉子
【評】「夫好む」は現在形ですから、いまも夫はぴんぴん元気なのでしょうか。それならば、「久に」などと言わず、もっとちょくちょく葉飯を出してあげたらいいのに、と感じてしまうのですが、本当は故人なのでしょうね。「思ひ出や夫の好みし菜飯食べ」など、表現をもう一工夫してください。
△厨より恋猫の声けたたまし 蓉子
【評】「けたたまし」がいけません。これは不快感を示す語です。不快感からは詩情は湧いてきません。それと、この猫は台所にいるのですか。そのへんも今一つよくわかりません。とりあえず「厨より恋猫の声遠ざかる」としておきます。
○雲水の列の素足や雪解風 徒歩
【評】情景は見えてきますが、「列の素足」が表現としてこなれていないように思います。「列をなす素足の僧や雪解風」など、もう少し推敲の余地がありそうです。
○十二時の時報鳴りたる踏絵かな 徒歩
【評】なかなか面白い取り合わせの句ですが、「十二時」だとお昼を告げる時報であることが自明で、のどか過ぎませんか。その昔、踏み絵をさせるために鐘を打って人々を集めたことまで想像させる句に仕立てると、この季語がもっと生きてくるように感じます。「十二時」を外せばさらにユニークな作品になりそうです。
○~◎春の海舫ひを解き漕ぎ出でぬ 豊喜
【評】おおらかでゆったりとした調べが春らしさをよく伝えています。「漕ぎ出でぬ」も格調が高くて結構です。欲をいえば、「海」「舫ひ」「漕ぎ」のイメージが重複していますので、季語をもっと飛躍させる手もありそうです。たとえば「桜まじ舫ひを解き漕ぎ出でぬ」など。
△~○春風に島々巡り漕ぐオール 豊喜
【評】「漕ぐオール」が惜しい。せっかく「島々巡り」と大きな景を描きながら、結局「オール」そのものに視点を狭めてしまっています。順序を逆にして、小さなものから大きなものへと視野を広げたほうが解放感が出ます。「オール漕ぎ巡る島々春の風」。しかしもっと季語を冒険したい気もします。
△初つばめ直滑降に向かひ来る 妙好
【評】結局は日本語のこなれの問題なのですが、「直滑降に向かひ来る」は何だかもたついていてスピード感がないのです。もっと素直に詠みましょう。たとえば「大空を滑り来るかに初つばめ」など。なお、最初に「初つばめ」を出してしまうと、種明かしをしてしまうことになり、読者の気持ちを引っ張れません。真っ直ぐに向かい来るのが何なのかは、最後にもってきたほうが緊張感が保てます。
△袖口の重ね鮮やぐ春袷 妙好
【評】これは「春袷」という季語の説明にとどまっていないでしょうか。要するに春袷とはそんなふうにして袖口も艶やかな着物のことでしょう。なにかもっと深い観察がほしいところです。
△~○剥がしたる労組のチラシ多喜二の忌 マユミ
【評】季語によくマッチした情景です。ただし、中七の字余り(中八)はいただけません。ちょっと工夫すれば簡単に解消できることですから、推敲の手間を惜しまないことが肝心です。「労組のチラシ剥がされ多喜二の忌」など。
△デイサービス手作りマスクのゴム通す マユミ
【評】上五も中七も字余り。これではだめです。「デイサービス」の字余りは大目に見るとして、中七は工夫しないといけません。「介護士の手作りマスク風光る」など、できれば上五の字余りもなくしたいものです。
○正座して小さき手に受く雛あられ 多喜
【評】なにが悪いというわけではないのですが、「小さき手に受く」が表現としてどこかひっかかります。「小さき手」で幼子であることを伝えようという意図がやや鼻につくのかもしれません。「正座する児のてのひらへ雛あられ」で十分ではないでしょうか。
○あたたかや拡大文字の電子辞書 多喜
【評】春らしい穏やかな情景が思い浮かびます。厳密にいうと「拡大文字の電子辞書」ではなく、「電子辞書の拡大文字」なのですが、そのへんは気になりませんか。わたしならば「春昼の文字を大きく電子辞書」などとしたくなります。
○~◎春障子閉めて香の立つ濃茶かな 織美
【評】充実した時間を過ごされたのですね。「閉めて香の立つ」だと、ちょっと因果関係が感じられてしまいますので(障子を閉めたから、香りが強く感じられたのだ、という具合に)、そのへんを解消して「春障子閉めて濃茶の香のなかに」とするのも一法でしょう。
○窓際にベッド置き換ふ春ひざし 織美
【評】よく句意はわかりますが、ベッドを「置き換える」という表現にすこしだけ違和感があります。「春日さす窓辺にベッド移しけり」くらいでいかがでしょう。
○満員の乗客マスクして無言 万亀子
【評】通勤電車のなかの光景でしょうか。だいたい通勤者は無言ですが、しかしこうして「マスクして無言」と言われると不安感が伝わってきます。まさに現在の状況ですね。
○踊り子のスカートのごとミモザ揺れ 万亀子
【評】俳句で「踊り子」といえば、盆踊りの踊り手が連想されますので、ここはダンサーくらいでどうでしょう。フラメンコダンサーを思い浮かべました。面白い比喩ですね。
○~◎若芽掻く両足立ちの斑ら猫 永河
【評】この若芽は鉢植えの木でしょうか。猫が両足立ちしてちょうど手の届く高さなのでしょう。猫の習性が具体的かつ的確に捉えられています。「斑ら猫」からなんとなく痩せた野良猫を連想しました。
○梅が枝の日をかけ廻る目白かな 永河
【評】「枝の日」といったところが詩的です。ただ、「かけ廻る」でいいのかどうか。「跳ね廻る」のほうが目白らしく思われますが、それだとウサギみたいでもあり、まだしっくりきません。「梅が枝の日を弾きをる目白かな」と考えてみました。
◎花の雨島を出る子を見送れり 花子
【評】物語を感じさせる句です。遠くの学校に入学するのでしょうか。それとも就職して親元を離れることになったのでしょうか。「花の雨」のウエットなところに思いがこもっていますね。
◎陶壁の大顔小顔卒業す 花子
【評】こちらも大変よい句です。小六の子たちが、レンガ大の粘土板に自分の顔を彫って、それを集めて壁にしたものを卒業記念の置き土産にしていったのですね。わたしも同じことをやりました。もう数十年も母校には戻っていませんが、いまも残っているのだろうなあと懐かしく思い出しました。
◎追つて来る夢の中まで杉の花 美春
【評】きっと作者は花粉症にひどく悩まされているのしょうね。夢の中まで追ってくるというところがユーモラスです。しかもどこかシュールで、新感覚の句だと思います。
△風花や参詣急かす五十鈴川 美春
【評】この句の仕立て方ですと、五十鈴川が急かしているようで不自然です。雪が降りそうだから急ごうというわけなのでしょうが、「風花」は軽快で明るい季語ですから、「急かす」という感じではありません。「風花や煌めき走る五十鈴川」ではへんでしょうか。
○柴犬のリード引つ張る遅日かな えみ
【評】きちんと写生のできた句です。もちろん柴犬は、もっともっと散歩がしたくて、主人をせかしているのでしょう。ただ、「遅日」とは暮れそうで暮れないことで、つまり夕方のことです。とすると、この犬は「もう夕方だから家に帰ろう」と主人を促しているようにも読めてしまいます。ほんのちょっとした違いなのですが「日永かな」だと、もっと素直に受け取ることができます。
△~○蒙古斑消えて小川の水温む えみ
【評】川遊びをしているわけではないのでしょうが、「小川」がこの句を分かりづらくしています。また「小川」の「川」と「水」も重複しています。蒙古斑の消えた子供と作者の関係もわかりません。とりあえず「春光や薄れ初めたる蒙古斑」としてみました。
次回は3月31日(火)に掲載予定です。前日30日(月)の午後6時ころまでにご投句いただけると幸いです。河原地英武