京都大学に総合人間学部という新しい学部ができて20年以上が経過しました。新しい挑戦には、それなりの紆余曲折もあったと思います。そんな中、人間・環境学研究科の大学院生が、主に総合人間学部の学部生に向けてリレー形式の模擬講義を行っています。メンバーのひとりから、このような挑戦をしていると聞いたので、このたび見学に行ってきました。
なお、代表の真鍋さんによる「総人のミカタ」のコンセプトの説明がこちらです。
京大の人間・環境学研究科院生による「総人のミカタ」。「総人(総合人間学部)って何を勉強するの?」との質問にどう答えるかは、「学問って何?」に匹敵する問題。院生が学部生に語ることを通じて、今の時代にあって、総人・人環を進化させていこうという院生の挑戦です。https://t.co/7cKDw24HNC
— Junko Nishigaki (@JNishigaki) June 25, 2018
図書館との連携企画もあります。
総人のミカタ、卒論・修論執筆応援キャンペーン!!ばばーん pic.twitter.com/kyMjGb62Eb
— 総人のミカタ (@sojin_no_mikata) June 21, 2018
6月21日に行われた「文学のミカタ②―「文学」の役割とその未来を考える―」を見学しました。
日本の大学では今、いわゆるお金儲けに直結しない学問への風当たりが非常に強いです。2015年6月8日に文部科学省が出した通知は、巷で「国立大学人文系学部廃止通知」などと呼ばれる内容の通知でした。この「6.8通知」は国内外の幅広い層からの批判を受けて、うやむやにはされました。「うやむやにした」とは具体的には、「それは誤解だ!」という主張をばらまきました。しかし撤回はされてはいませんし、少なくない大学で人文系学部の縮小が進んでいます。そんな中、文学は何のためにあるのか?という問いに、博士後期課程2年生の山根さんが挑みました。私が理解した範囲では、「過去において文学は、国家や社会の安定性を維持するために重要であったのに対して、現在は私たち一人一人が自分の人生をどう生きるかを考えるために重要な役割を果たしている」ということだったと思います。
「6.8通知」以後、文系学問の重要性を主張する書籍がいくつも公刊されています。ただ私の印象では、「エリートに人文系の素養は不可欠」という主張に偏っていて、大衆化した現在の大学に人文学がなぜ必要なのかという点には、十分に答えていないのではないかという気がしています。
それに対して今回講義をした山根さんは、「文学は誰にとっても助けになる」ということを語っておられたと思います。若い人たちの挑戦、心強いです!
講義の後には質疑応答があり、多様な学問分野の院生と学生がいる総人・人環ならではの議論が展開されていました。またプログラムが終了した後は、メンバーによる検討会。学部生や専門の異なる人に、自分達の学問を届けるにはどうすればよいのか、様々な提案が出されていました。
なお7月12日には、今回文学について講義をした山根さんと数学の研究をしている伊縫さんによるディスカッションもあるそうです。
最後に、「人文系学部廃止」騒動とその背景については、こちらのブックレットがオススメです。戦後の大学教育制度史をふまえてコンパクトに解説されています(この「騒動」に関しては、他日にコラムを書きたいと思っています)。光本滋『危機に立つ国立大学』クロスカルチャー出版、読み終わった。今国立大学を苦しめている「ミッション再定義」を始め、国家による国立大学統制を批判、国立大学法人法の抜本改正を提案する。著者は北大の先生。https://t.co/x35szLNUvE
— 田畑暁生(Akeo Tabata) (@akehyon) March 22, 2016
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西垣順子<大阪市立大学 大学教育研究センター>
滋賀県蒲生郡日野町生まれ、京都で学生時代を過ごす。今は大阪で暮らしているが自宅は日野にある。いずれはそこで「(寺じゃないけど)てらこや」をやろうと模索中。老若男女、多様な背景をもつ人たちが、互いに互いのことを知っていきながら笑ったり泣いたり、時には怒ったりして、いろんなことを一緒に学びたいと思っている。著書に「本当は怖い自民党改憲草案(法律文化社)」「大学評価と青年の発達保障(晃洋書房)」(いずれも共著)など。