――京都のフォークブームにラジオ番組が果たした役割は?
京都は学生の街で、山に囲まれて、ちょっと閉鎖的というか、でもそこにいろいろな高校や大学がある。自由で緑も多く、御所や鴨川に集まって歌の練習も出来る。当時、御所の中を歩いていると、あちこちで色々なグループが歌っていて、あそこで良い曲やってるから行ってみようかとか、あの子うまいからうちのグループに引っ張ろう、一緒にやろう、といった交流の場でもあった。ラジオはそれを発表する場で、電波に乗ると街中に聞こえる。お寺や教会で歌っていたのが、「俺、明日ラジオに出るんや」と公になっていく。「アクションヤング大丸」という大丸で公開収録した番組では、毎週アマチュアグループ3組が出場して1位が勝ち残り、月間チャンピオン、年間チャンピオンを決めていた。司会は諸口あきら。当初は五つの赤い風船のリーダーだった西岡たかしが司会を務め、五つの赤い風船もレギュラーで演奏していました。シモンズやナターシャセブンといった人気グループが出たり、ペギー葉山等の新曲が出た時はゲスト審査員になって、トークもする。局にデモテープを送って来る人やスタジオまで来る人がいっぱいいて、誰でもラジオに出られて、誰でもチャンスを与えられた。当時はインターネットも携帯電話もない時代。ユーチューバーみたいな発表の場もなかったから、ラジオから多くのアーティストが育ったわけです。尾崎亜美がそうだし、アリスもスタジオで収録していた頃によく来てました。チューリップは九州から2週に一度売り込みに来たし、ユーミンや中島みゆきもプロモートで来たことがあります。
カナリアに聞く~川村輝夫さん
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