絵本というスタイルで、読み手に辛辣な思考を突き付けてくる本。それが「ぼくを探しに」と「続ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い」です。「ぼくを探しに」を初めて読んだ後、感動したものは分かち合いたいおせっかいな性格がさく裂し、しばらくは誕生日やクリスマスのプレゼントに、がしがしと押しつけた類の本部門で活躍しました。渡された側はどうだったのか。一人を除く、贈った相手をほぼ忘れてしまったのでもう感想も得られないし、明確に記憶にあるお一人はもう会えないのでやっぱり聞けません(あ、ご存命です)。その人は中をざっと目を通して、ふぅーんという表情だったような…。
本の扉を開き、タイトルに続いて、「だめな人と だめでない人のために」というメッセージですでに心が揺さぶられてきます。そして“足りない部分のある絵”と『何かが足りない それでぼくは楽しくない』の言葉から始まります。『足りないかけらを探しにいく』というぼくが、いろんな出遭いを経て、ようやくコレというかけらをみつけますが、『ぼくはきみのかけらじゃないからね 誰のかけらでもないからね』とあっさり拒否され、さらに出遭うかけらは小さ過ぎたり、大きすぎたり、足りないところにしっくりと収まる出遭いになかなかたどりつけません。ようやくしっくりと収まるかけらに出遭うのですが、“足りたぼく”はそこからどうなったか―――。
この「ぼくを探しに」を受けて、続編として出たのが「ビッグ・オーとの出会い」です。こちらは“かけら”が主役で、しっくりと“収まれる”何かとの出遭いを求めていきます。なんと、こちらは村上春樹氏の新訳で「はぐれくん、おおきなマルであう」という本があることを今回、知りました。
わたしが紹介する「ぼくを探しに」と「続ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い」の翻訳は小説家の倉橋由美子さんです。私は彼女の作品が大好きで、またこちらでもご紹介したいなあと思っているのですが、平成17年に亡くなられ、幻想的で独特な世界観がさらにどう展開されていくのかという楽しみは閉ざされてしまいました。
「おとなのための絵本」と評される絵本が多く出回り、これもその中に加われる1冊ですが、中学生や高校生、大学生にぜひ読んでほしいなあと思うのです。まずは自分が読んで、お孫さんまたは息子・娘に「面白かったから、読んでみない?」とさらっと渡してあげる。こんなふうに受け取ってほしいとか、感じてほしいとか、悩んでいるときの一冊、さりげなくなんでもない時に読んでいただけるといいなと思います。そう、過去の私のようにあれこれ想いをぶつけて興奮して渡すのではなく、さらりと読んでさらりと贈ってみたい。と、けっこう落ち着いた気持ちで今はお勧めする一冊です。(ふるさとかえる)