今年は京都とパリが姉妹都市提携をして60周年とか。
はい、正式には「京都・パリ友情盟約締結60周年」。京都市のホームページにはいろいろな記念事業が紹介されています。
先月出された鹿島茂・井上章一『京都、パリ この美しくもイケズな街』(プレジデント社)はお勧めの一冊。性風俗の比較論にかなりページが割かれていますが、ご両人の蘊蓄がすごいので、たっぷり学問した気持ちになります。京都とパリは文化都市としての共通点がありますね。
それに国際都市である点も似ています。観光客だけでなく、その文化に憧れる留学生や定住者を引き付ける力があります。豊かな文化と国際性は大きな資産です。これは世界に向けて何かを発信する大きな力となります。
特に20世紀初頭のパリは大したものでしたね。ピカソや藤田嗣治などの画家、作家、思想家たちが集まり、世界を一新するような文化の発信源となりました。
わたしは今の京都にその役割を期待しています。ここには千年の伝統文化が息づく一方で、最先端の企業が集まっています。その融合は世界に類のないものを生み出すはずです。学問の分野でも、すでに多くのノーベル賞受賞者を出していますし、京都学派と呼ばれる独自の学風を培ってきた風土があります。1960年代から70年代にはフォークソングなど音楽の世界でも日本を牽引してきました。最近、若者たちが町家を改造して独自の起業をしたり、創造的な活動を展開したりしているとも聞きます。先日新聞を読んでいましたら、アニメ制作のスタジオがぞくぞく京都に結集していると書かれていました(『京都新聞』10月13日付)。
何か面白いことが京都を中心に生まれそうですね。
実は政治面でも京都とパリは重要な役割を果たしています。1997年の京都議定書と2015年のパリ協定です。地球温暖化防止の国際的取組は、この2つの都市名を関した取決めによって大きな前進を見せました。
しかし昨年、アメリカはパリ協定から離脱してしまいました。
そうでしたね。でも、そのとき非常に興味深いことが起こりました。アメリカ国内の多くの州や、ロサンゼルス、ボストン、シアトルなどの大都市がトランプ政権の決定に異を唱え、パリ協定への残留を表明したのです。
地方自治体が国家を越えて、世界と連携したのですね。
そうです。実はわたしは国家にあまり大きな期待を抱いていません。国家は国益を追求しますが、それはしばしば「国家益」であって「国民益」ではありません。「民」が置き去りにされてしまうのです。辺野古への基地移設をめぐる日本政府と沖縄県の対立にも、それが端的に現れています。昨日はトランプ政権がアメリカのINF全廃条約からの離脱を表明しましたが、これも国家同士の核競争の問題であって、国民にとってはただただ由々しい悪夢のような決定です。われわれの命を国家任せにしてはいけません。国家が国益の呪縛でがんじがらめになっているなら、われわれは「民」の立場から、例えば京都市を拠点として、パリなどの諸都市の市民と連帯し、世直しをしていかなくてはならないのかもしれません。近年、経済分野では「グローカル」という言葉が使われるようになりました。「グローバル」に考えて「ローカル」に行動するという発想かと思いますが、これは政治の面でも応用できそうです。都市や地方自治体というローカルな拠点から、世界政治に働きかけるのです。京都とパリの市民がその方面でも連携できればすばらしいと夢想しています。
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