~比較政治学を研究する戸田真紀子さん。アフリカの貧困や紛争、さらにはジェンダーにいち早く注目してきた戸田さんは、アフリカの人たちの過酷な状況は政治による人災、そしてそれは日本とも無縁ではないとおっしゃいます。私たちが日頃あまり身近に感じることの少ないアフリカの現状について伺いました~
――まずはなぜアフリカの地域研究をテーマにされたのでしょうか?
大阪大学法学部の2回生の時に受講した故馬場伸也先生(ばんば・のぶや 国際政治学者・元大阪大学法学部教授)の「国際行動論」で、中学・高校で習ってきた権力者側の視点ではなく、草の根の人たち(民衆)の視点から見た国際政治の世界を知り大変感銘を受けました。3回生に馬場先生のゼミに入り、ゼミの報告で当時大問題となっていたアフリカの飢餓問題を取り上げたのですが、調べていく中で、飢餓は干ばつという「天災」ではなく「人災」であったという論文に出会いました。世界中に食べ物が溢れていた時代に、これほど多くの人たちが飢餓によって亡くなっている本当の原因、真実に気づき、そこからアフリカの研究を始めることになりました。
――飢餓はインドや東南アジアなどでも問題になっていましたが、なぜアフリカだったのでしょうか?
1984-85年のエチオピアだけで100万人以上が犠牲になったと言われています。先進国が余剰作物を廃棄するために莫大な費用をかけていた同じ世界で、人びとが飢えて死んでいったのです。現地から送られてくるニュース映像は衝撃的でした。日本でも官民合同の支援活動として、昭和の名優でいらっしゃった森繁久彌さんが会長となって「アフリカへ毛布を送る会」が発足し、目標100万枚をはるかに超える毛布が日本中から集まり、アフリカに送られましたし、世界中がアフリカの飢餓問題に注目していました。映画「ボヘミアン・ラプソディー」をご覧になった方は、1985年のLIVE AIDの場面を覚えておられると思います。あのコンサートも、アフリカの人びとに物資などの支援を送るために企画されました。しかし、よく調べると、あの飢餓は人間が引き起こしたことで、本当は死ななくて済んだ人たちが大勢いたのです。馬場先生は、NGO研究者としては日本の草分け的な存在ですが、専門はカナダ研究です。アフリカの飢餓は天災、干ばつが原因ですということであれば、私もそれ以上、踏み込まなかったと思います。でも実際は人災で、本当は防げたのに、政治のせいで多くの人びとが苦しみながら死んでいったと“知った”ことが私の研究への道をつくりました。