
3月下旬の上演が間近で、地元愛媛の新聞媒体に取材を受けることになって、さすがに記者さんは率直至極な質問をぶつけてこられる。
――どうしてこんなところに転居してこられたんですか。演劇を見る人もする人も少ない土地で、なにかを期待する人は珍しいと思うのですが。
うん。普段、ここにもう10年近く住んで演劇したり農業したりカウンセリングしたりここでの現実にどっぷりつかってしまったこの身体、そもそもどうしてここにいるのだろう。どうしてこんなとこに来たんだっけ…考えること自体もはやほぼないだけに、この質問には詰まった。
そもそもどうしてこの世に生を受けたのだっけ、……と問われることに近いくらい、意識がもはやそんなところに向いていなかったのは正直なところだ。だけど人は疑問に思う。ましてや、この愛媛の土地に長く住んでいる人だからこそリアルなところ、疑問に思うのだ。それは都会人の納得とは違う。
「こんな都会の喧騒が嫌になったんでしょ。人間関係の煩雑さ、面倒になったんでしょ。地方は空が広くて土が広くて深呼吸できそうだと思ったんでしょ」
もともとそうだったと思う。もちろん、その逃避についてのバラ色の幻想は半分現実だったし、半分は幻滅だった。人間関係はどこにいったところで煩雑だし、そして都会で感じた孤独はこの地方にいたって存在する。孤独の成り立つ理由と構造がちょっとずれるくらいで、孤独を感じる男女はこっちにだって少なくない。明確に違うのは、ちょっと外に出たら目の前に石鎚山のとんがった峰が見える爽快さ、広さ、くらいだろうか。
私は、じゃ、演劇としてはなにを期待したのだろうか。質問されたのは好機だと感じた。言語化して説明するためには、自分に距離をとって、自分を俯瞰して把握しなおす必要がある。そもそも私は演劇として何を考えていたのか。
演劇をやり始めた頃と同じ望みだ。それを望みたかったらここかなと思ったのだ。
演劇業界での上昇志向とは無縁な仲間があつまるかも。…こんな中央から遠いところにいて活動して演劇業界の中で名を成すなんてことはありえない。だから逆にいい土地かも。
将来演劇で食べたい、と思わない人と徒党が組めるかも。…こんな中央から遠いところにいては大マーケットに発見されるはずがない。だから逆にいい土地かも。
つまり、山の中に窯を作って焼き物を焼くようなことがしたかったのだ。陶芸家、という存在に祭りあげられて私はうれしかったと正直に認めなくはないけれど、居心地の悪さ、違和感、そんなものはきっとたくさんあった。鈴江の周囲にいれば、有名になれるかもしれない。鈴江にかわいがってもらったら、デビューみたいなことになるかもしれない。…そういう動機を感じる若者に取り囲まれるようになった。もともとは公務員の趣味でいいからやろうや、と誘ってなんとか乗ってきたただの友だちの集まりだった劇団八時半が、京都の小さい会場で小さい小さい劇をやっていたのに、誘われて大阪の劇場でもやり、誘われたら東京でもやることになるのか?という勢いがついてきたら、いつの間にかもと居た無欲の友だちはいなくなった。もともとおそらくその無欲の友だちはそんなに演劇好きではなかった。ただ鈴江の友だちだっただけだ。
新人を入れるたびに、なにか空気が変わっていって、最後はその友だちが新人を入れることに文句を言うようになった。入れなくてもええやんか。あの子、なんかよくないよきっと。などなど。
そして、気がついたら「将来はプロを目指したい」と口にするような人たちだけが残った。そしてど真ん中にいる私はと言えば、プロを目指すなんて気はそもそもなかった。そもそもプロ、というものに価値を認めてなかった。プロって飯を食う、ってことだ。お金もらう、ってことだ。大勢のお客さんに支持される、ってことだ。そんなこと目指すのか?
大勢の客を反体制の思想にいざなう、ってことなら目指そう。大勢の客を繊細無比な役者の気配の迷宮の愛好者にするぞ、ってことなら目指したい。だけど、実際そんな甘くないことはよく知っていた。大勢の客が入場料を払いたくなる芝居、っていうのはつまり「飽きない、退屈しない、快適な消費物」と化すことだ、と思ってた。そもそも私が客として愛好するのは娯楽劇なんかじゃなかった。観劇は消費行動とはちがっていて、役者との勝負みたいなものだった。どこかの小さい空間でほんの少ない客を相手に意味がわからない、だけどなにか説明しがたい感覚を実現している、存在感のかすかな劇。そんなのを見て、「劇だ!」と思ったのだ。
そもそも私が愛好する劇場は小さい劇場だった。三〇〇席や四〇〇席を超えるころから、なんだか役者の気配が繊細には伝わりにくい距離に飽きてきていた。贅沢に、小さいところで、ふるえるような空気の気配に息をつめて興奮した自分の観劇体験を、ただただ追求したいと感じている自分を、なだめなだめ暮らすようになっていた。自分のその「説明しがたい感覚」はきっと三〇〇や四〇〇の座席でも実現できるさ。今はただ力が足りないから、もっと謙虚に、もっと演出力やら演技力やら、どうしたら実現できるのか、悩んで頑張って上昇していったらいいんだよ。と。
だけど、そもそも無理がある。と悟るようになったのだ。