
英国のスターマー首相は1月29日、中国の北京で習近平国家主席と首脳会談を行いました。さらに1月31日には東京で高市首相との会談もこなしました。かなりハードな日程だとも思われるのですが、英国がこのような外交を展開した背景事情は何なのでしょう?また、その成果はいかなるものだったのでしょうか?
まずは英国と中国の関係を振り返ってみましょう。これについてはNHKのウェブサイトが簡潔にまとめていますが、それをなぞる形で説明してみたいと思います。
今から約10年前の中英関係は経済的な結びつきも強まり「黄金時代」と呼ばれるほど良好でした。英国がキャメロン首相の頃です。しかしその後、中国政府による香港市民への言論弾圧やウイグル民族に対する抑圧を由々しき人権問題と見なした英国は、中国と距離を置くようになります。米国の第1次トランプ政権やバイデン政権による中国敵視策との連帯もありましたし、EU離脱により経済的に混迷していた英国へ安価な中国製品が流れ込むことへの脅威感もあったでしょう。2018年にメイ首相(当時)が訪中したのを最後に、英国首脳の訪中は8年間途絶えていました。2022年、英国のスナク首相(当時)は英中の「黄金時代は終わった」と宣言し、昨今では両国の関係は「氷河期」とも言われていました。この状態を打開し、新たな「黄金時代」を模索しているのがスターマー首相です。
スターマー氏が中国との関係改善に乗り出した理由は何ですか?
第二次世界大戦後ずっと欧州最大のパートナーであり支援国であった米国への信頼感が、トランプ政権時代になって急速に弱まったということでしょう。たとえばトランプ氏は、NATO諸国に対する防衛義務を放棄するような言動をしたり、グリーンランド問題に関しても、米国の意に従わないなら関税を引き上げると言って、経済を「武器」に欧州を威嚇したりしています。少なくとも中国はそのような威嚇は行いません。それに中国の世界における経済力は無視できません。レアアース一つとっても中国を敵にしていて得はないと見極めたということでしょう。英国側は今回の訪中時に50名以上の企業代表者を同行させ、中国の企業関係者とのビジネス評議会を開催したとのことですが、中国経済への期待感を示すものと言えます。
実はこうした「中国詣で」は英国だけでなく、他の欧州諸国でも顕著になってきています。昨年秋以降に限っても、9月にはポルトガルの首相、10月にはアイスランドの大統領、11月にはスペインの国王、12月にはフランスの大統領、今年1月にはアイルランド、カナダ、フィンランド、そして英国の首相がそれぞれ訪中していますし、2月にはドイツのメルツ首相も中国を訪問する予定です。そして4月には米国のトランプ大統領も北京で首脳会談を行う段取りが進んでいるようです(『朝日新聞』1月30日)。
トランプ大統領が米国と中国を「G2」と呼んだことはよく知られていますが、実際、今日の世界は、政治、経済、安全保障その他の面で米中の二極化が進行しています。世界各国が米国と中国の間で、どのような位置をとるべきか模索しているのが現在の国際関係なのだと思います。従来、米国と欧州は「民主主義」という価値観を共有し、団結していましたが、そうした価値観よりも実利を優先し、英国を始めとする欧州諸国が今や中国のほうへ歩み寄ろうとしているわけです。
つまり英国は主要なパートナーを米国から中国に切り替えたということですか?
そこはちょっと違うと思います。第一、英国民は中国にそれほど気を許していません。英国の調査会社「ユーガブ(YouGov)」が1月24日に発表した世論調査によれば、「中国を敵対的な脅威」だと考える人は22%、非友好的だとみる人は29%で、友好的だと答えた人はわずか4%だったそうです(「日経速報ニュース」2026/01/28 17:00)。ですからスターマー政権は、国民が必ずしも望まない中で対中接近を試みたと言えるでしょう。
中国にだいぶ譲歩したのは確かです。今回の首脳会談では中国国内の人権問題を事実上棚上げしましたし、ウクライナ戦争でロシアを支援する中国の立場を批判することをしなったようです。中国はかねてから在英大使館をロンドン中心部の広大な旧王立造幣局跡地に移転することを求めていましたが、国内の安全保障上、英国は難色を示していました。しかしスターマー首相は訪中直前に、いわば「お土産」としてこれを承認しました。
とはいえ、けっして中国に縛られ、従属する関係を望んでいるのではありません。中国との関係において新たなバランスをとろうとしていると言い換えたほうがよさそうです。
どのようなバランスですか?
インドとの関係もその一つです。インドと言えば、1月27日に欧州連合(EU)とインドが自由貿易協定(FTA)交渉を妥結しました。これによって世界のGDPの約2割を占める巨大経済圏が誕生しますが(『日経新聞』1月28日)、英国はEUよりも早く昨年7月にインドとFTAを締結しています。こうしたインドとの連携は、英国そしてEUが「脱米中」を図り、自立を保とうとするバランス外交の表われでしょう。
英国に話を戻せば、スターマー首相が訪中後ただちに訪日したこともバランス外交と言っていいでしょう。
中国と対立を深める日本ですが、その日本に英国は何を期待しているのでしょう?
日本が衆院選キャンペーンの渦中にあるため、それ関連のニュースにまぎれ、スターマー首相の訪日に関する世間の関心が薄らいでしまった感のあることは本当に残念です。
ところでスターマー首相の訪中は4日間でしたが、日本滞在はわずか半日でしたから、中国との関係に比重をおいていたことは明らかですが、それでもわざわざ日本に立ち寄ったことは、日本として評価すべきでしょう。
両国の良好な関係は共同記者会見からも窺われます。ただし日本と英国では、両国関係におけるポイントの置き方が異なっていたことも見て取れました。
具体的にどのように異なっていたのでしょう?
共同記者会見における両首相の発言内容を聞き比べてください。
高市首相から安全保障分野における両国関係の意義を強調し、戦闘機の共同開発問題や、英国空母の日本への寄港の意義、「戦略的サイバー・パートナーシップ」共同声明の重要性、外務・防衛閣僚会合(2+2)の開催予定、レアアースなど重要鉱物資源のサプライチェーン(供給網)強靭化のため同志国が連携することの必要性を挙げました。これらはいずれも中国の脅威を念頭においての発言であることは明らかで、それを聞いているスターマー首相の表情はこわばっていたように感じます。高市首相が後半に両国の経済関係に触れ、貿易・投資の規模が1.5倍に伸びたことを述べると、初めてスターマー氏の顔に笑みがこぼれたのが印象的でした。
では、スターマー首相はどんな発言をしたのですか?
それについては、以下の和訳をお読みいただきたいと思います。高市首相のスピーチとは重点の置き方がかなり異なっています。
高市氏が「国家」の安全保障問題に終始していたのに対し、スターマー氏は「英国民」の「日常へ押し寄せている」問題を前面に出して語りました。特にわたしが感動したのはスターマー氏の次の言葉です。「外の紛争が国内の燃料価格を押し上げれば最初に影響を受けるのは、国民の暮らしです。サプライチェーンが分断されれば その負担を背負うのは、中小企業や働く人々です。そして不安定さが増せば 最も危険にさらされるのは、社会の弱い立場にある人々です。」
両首相の関心の在り処の違いは歴然としています。高市首相が関心を寄せるのは日本という「国家」の安全です。かたやスターマー首相の関心は「国民の暮し」「中小企業や働く人々」「社会の弱い立場にある人々」です。労働党党首の面目躍如といったところです。
英国は自国民の暮しを守るため、中国との関係修復に動き、日本との連携を重視しています。他方日本は、国家として中国と対峙するため、自国民の暮しを犠牲にし、英国を利用しようとしている。そんな印象を受けました。
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河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。 同大学院修士課程修了。 専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。 俳人協会会員でもある。 俳句誌「伊吹嶺」主宰。