
人はいくらさみしくても死にはしない。
心ってやつは、いったいどれだけ傷めつけられれば気が済むのか。この情けない気持ちがこんなに長く続くとは思ってもいなかった。でも、前よりは楽になった。外出も平気になった。ただ隣りにお前がいないだけだ。
おれはこの何年かは形振り構わずだった。恥も外聞もなく、友人らに自分の弱さを吐露したり書いたりしてきた。このことに親身になって応えてもらったからこそ助けられた。救われたのだと思う。こうしてありったけの思いを吐き出せたから今があるのだろうか。
やっぱり「時」ではないのか。時が経てば何もかもが薄れて行き気持ちが楽になる。時は何も言ってくれないが、「Time Is On My Side」。解決にはならなくても時は味方だ。
しかしながら、結局、人は皆誰もがさみしいんだと思う。ただ、皆はおれみたいに言ったりはしない。言わずにじっと耐えている。おれのこの弱さはどうすることも出来ないのだ。
酒田はたまに青空が見えても刺すような冷たい北風が唸っている。我慢の冬、真最中なのだ。暴風雪、雷が続くと外出すらままならない。時には恐怖すら感じる。もうウンザリだ。
雪がキレイだと思ったのは酒田に戻った頃の1~2年だけだ。懐古趣味が甚だしかったのだ。酒田の冬が好きだなんて、一冬滞在してみるといい。冬の厳しさに身を置けば、パンドラの箱を開けたも同然、情緒や風情が戯言だったと気付くはずだ。雪景色が見たいだの、二、三日のいいとこ取りの観光客にわかるはずがない。
また、過去の輝かしい歴史や文化にせよ、いずれなくなる。劇的な人口減少で担い手が激減して、いくら頑張っても酒田は消滅する。おれが死んでからの何百年も後のことまで構ってなどいられない。‥‥ん?!どうしたことか、取り乱してしまったようだ。
好きだったジョン・フィリップス(ママス&パパスのリーダー)が亡くなっていた。01年65才だった。知らなかった。彼は死の直前に「夢のカリフォルニア」を録音していた。ギターを奏で、一人寂しげに歌っている。それにミュートトランペットが被さり、悲しい雰囲気をより一層醸し出している。
「木の葉は茶色く枯れ
空はどんより淀んでいる
こんな日に散歩している
寒い冬の日に
東京はあたたかいだろう
東京が恋しくなる
酒田の冬はまっぴらだ」
そういえば、近所の公園にハナミズキの木が1本だけあったのだ。毎年春になるとまっ白で柔かい可憐な花を咲かせる。それが、昨年は葉が茶色くカラカラに枯れていて花が咲かなかった。この木は以前から虚弱体質のように異様に細かった。いよいよ寿命なのだろうか。木には札が掛けてある。そこには、明治時代に日本がワシントンに桜を送った返礼だと記してある。なぜそれが酒田にあるのか。大事な木に違いない。100年続いて死んでしまったのだろうか。
おれは咄嗟に市役所へ電話した。「管理はどうなっているのか」と。頭に血が上ぼったのだ。管理といっても自然のものですから・・・・・。途中で、こんな電話は暇なジジィがするものだと恥ずかしくなり「もういい」と切った。このハナミズキは彼女が好きだったのだ。
人の寿命は神のみぞ知る。いくら健康に気をつけてもいつ何が起きるか分からない。彼女と二人で食べたことばかり思い出す。鮭をベランダに干して鮭トバを作った。いちじくを一日中コトコト煮詰めて甘露煮にした。干し柿のカーテンも晩秋の定番だった。毎年の楽しみだったが、今は全て止めた。たまにひじきや切り干し大根を作ると切なくなる。こんなにいっぱい食べ切れない。来る日も来る日もせっせせっせと、まるで狂ったかのように作っていた。おれは彼女の健康のことで頭が一杯だった。
もし、おれが死ぬと分かったら大騒ぎする。彼女は死という言葉は一度も口にしなかった。ただ耐えていた。それはそれまで見たことのない彼女の強い一面だった。敬意を表するが、あまりにも早過ぎた。まだまだこれからという年齢だった。もっともっとわがままを言ってほしかった。
彼女と暮らしたことも、子ども達や友だちが来てくれることもお前の財産だと友人に言われた。そうだと思う。だが、悲しみが財産であるはずがない。
世の中には最愛の人を亡くした人は数え切れない程いる。誰もが毎日を耐えて生きている。でも、そんなことは関係ない。おれはおれなのだ。
「バカヤロー」。誰もいない海に向かっていつも叫んでいた。そうするしかなかった。時計を巻き戻したい。さみしさを海に捨ててくればよかっただなんて、呑気な歌の世界でしかない。
大きな瞳がおれをまっすぐに見つめていた。長い黒髪、しなやかな指先。お前のよさはおれにしか分からない。忘れられなくてもみんな遠のいて行く。もうどこにもいないのだから。
年が明け、彼女が死んで5年目になる。こうして功徳を重ねて(彼女に対してそう思っている)どうなるというのか。暗い闇の中で身動きが出来なくなるだけだ。いったいいつまで。もういい加減にしたい。
明るい一年でありますように。
—————————————