
内閣総理大臣官邸(以下、官邸と略記)の幹部(安全保障担当)が、個人的な見解として、オフレコを条件に、報道関係者に対し「日本は核兵器を持つべきだと考えている」という趣旨の発言をしたことが12月19日、一部の新聞によって報道され、大きな論議を巻き起こしています。その発言自体を由々しき事態と問題視する意見、そもそもオフレコで語ったことを記事にするメディアの報道倫理を問題とする論、官邸幹部と言えども言論の自由は保証されなくてはならないとする擁護論、これを機に非核三原則などわが国における核兵器のあり方そのものを問い直すべきとの議論が、政治家、評論家、SNSの投稿者などを中心として湧き起こっています。早速、中国や米国の政府なども反応し、国際的にも波紋を広げています。この件をどう見ますか?
まず事実関係を整理してみます。わたしの知るかぎりで述べると、12月19日に官邸幹部の発言を報じたのは、共同通信社加盟社の『京都新聞』(第1面)、『毎日新聞』(第2面)そして『朝日新聞』(第3面)です。逆に掲載しなかったのは『讀賣新聞』、『日経新聞』そして『産経新聞』です。大雑把な括りでいうと、政府与党に対し中立的もしくは批判的な新聞社は取り上げ、好意的な新聞社は取り上げなかったと考えられます。
官邸幹部は具体的にどういうことを語ったのですか?
一番大きく取り上げた『京都新聞』の記事を要約すれば、発言内容は以下のとおりです。「私は核を持つべきだと思っている」「最終的に頼れるのは(米国による核の傘ではなく)自分たちだ」しかし「コンビニで買ってくるみたいにすぐにできる話ではない」。非核三原則の見直しについては「高市早苗首相とは話していない」。これに『朝日新聞』の記事で補えば、同幹部は、核不拡散条約(NPT)体制との兼ね合いなどから核保有の実現は難しいこと、非核三原則の見直しにも「政治的な体力」がもっと必要になることなどを指摘した由です。
そもそもこの官邸幹部とはどのような立場の人なのですか?
内閣官房内閣広報室のウェブサイト「首相官邸きっず」に分かりやすい説明があります。それによれば、「内閣総理大臣を支える人々」には2つのカテゴリーがあり、その1つが「内閣総理大臣補佐官」で、「重要な政策について内閣総理大臣にアドバイスをする役職」です。「総理に直接アドバイスする仕事」だから「総理が信頼出来る人を選んで」います。「補佐官は5人以内と決まってお」り、「最近は国会議員がなる場合が多い」とのことです。もう1つは「内閣総理大臣秘書官」で、こちらはいわゆる情報伝達が仕事ですから、自分の政治的な見解を表明することはありません。したがって、核保有論を語った官邸幹部は、内閣総理大臣補佐官の一人だと見ていいでしょう。
内閣総理大臣補佐官は公表されない秘密の役職なのですか?
いえ、ちゃんと公表されています。首相官邸のウェブサイトに5名の補佐官の名簿が掲載されています。それぞれの担当分野も記されていますので、論理的に推論すれば、安全保障政策を担当する補佐官が今回のオフレコ発言の当事者ではないでしょうか。
しかしこの補佐官の担当分野として「国家安全保障に関する重要政策及び核軍縮・不拡散問題担当」と書かれています。日本の核保有は「核軍縮・不拡散」からの逸脱ではありませんか?
ですから当人も補佐官の立場としてではなく、あくまで一個人の見解として、しかもオフレコの形で述べたということなのでしょう。
オフレコとはどういうことですか?国語辞典によれば「off the record」が元の英語で、「〔記者会見などで〕その部分の記録・報道をさし控えてもらうこと(『新明解国語辞典 第7版』)とありますが、それを報道してしまった側に非があるのでしょうか?
オフレコ発言の扱いに関しては、12月21日付『京都新聞』が「インサイド」欄で割と詳しく説明しています。それを引用する形で紹介します。
「オフレコ取材は事象の背景を探ったり、相手の本音を聞き出したりするなどして国民の知る権利に応える目的があり、政治家や官僚取材で多く用いられる」そうです。
一般に政治取材では、①記者会見など実名で報道する「オンレコ」、②匿名が前提の「オフレコ」、③匿名での引用も含めて記事化しない「完オフ(完全オフレコ)」の3つの手法があります。オフレコの場合、記者は録音・録画せず、メモも取りません。記事にする際も、「官邸筋」や「政府関係者」などと情報源をぼかします。今回は官邸側から事前に「オフレコ」でとの希望があり、15人ほどの記者が集まった中での取材でした。
とすると、今回のケースは上の②に該当するとして記事化したのでしょうか?
その点についてはこう説明されています。「官邸側は発言の後、記者団に『完オフ』扱いとするよう求めたが、共闘通信は、発言者が高市早苗首相に政策を助言する立場にあることや、発言の重大性を考慮。真意を確認しようと再取材を試みたが応じなかったため、官邸側に通告した上で、オフレコのルールに沿って匿名で報じた。」
ということは、発言主である官邸幹部は、メディアの報道を望んでいなかったという理解でいいでしょうか?
そこは政治的な駆け引きです。発言内容が公にされて社会の批判が噴出すれば、「オフレコ」(しかも非公式の個人的な見解を述べただけ)なのに記事にした新聞社が悪いと世論を誘導することができますし、社会が好意的に受け止めたら新聞社の記事化は不問に付すという両面戦略をとることができますので。第一、報道を使命とする記者団(15名)をわざわざ招集しておいて、報道を禁ずること自体が無意味です。官邸幹部もこの道のいわばプロですから、報道されることは先刻承知のうえでしょう。「オフレコ」という責任回避の保険をかけつつ、報道されることを見越してのパフォーマンスだったと考えるべきです。
とすれば、官邸幹部はなぜこの発言をしたのですか?
臨時国会が閉会した翌日、12月18日の発言だったというタイミングも意味があります。もはやこの発言が国会で問題となり、高市首相の答弁が求められるというリスクはありません。こうしたリスク回避を計算した上での発言だったと思います。これはわたしの憶測ですが、高市首相は事前に官邸幹部の発言を了承していたと思います。首相にとって寝耳に水のようなことを、側近中の側近が行うとは考えづらいのです。でなければ、首相への裏切り行為です。わざわざ15名の記者団を集めての発言ですから、それなりの準備もなされたのでしょう。繰り返しになりますが、本当に外部に出したくない内容であれば、絶対に口外しない信頼できる者だけを集めて語ったはずです。あえて政権に批判的な記者まで招いて述べたわけですから、彼らが沈黙を保つと考える方がおめでた過ぎるでしょう。
官邸幹部がこの発言をした理由は今のところ3つほど考えられます。
それは何ですか?
第一は中国に対する恫喝。国会における高市首相の台湾有事をめぐる答弁が、中国側の非常に強硬な反応を引き出したのは周知のとおりです。このまま中国に「やられっぱなしでなるものか」という高市政権の強い「闘志」を感じます。実際、中国側も日本の政権中枢部から核保有論(つまりは核武装論)が発せられたことに毒気を抜かれたのではないでしょうか。中国外務省局長は12月19日、「報道が事実なら事態は深刻だ。中国と国際社会は厳重に警戒しなければならない」と述べましたが、それ以前の日本批判に比べてどこか及び腰な感じを受けました。
第二は米国に対して日本の意地を見せたということでしょう。日中間の対立が強まるなかで、トランプ政権は静観を保っています。トランプ大統領は中国の習近平氏からの電話を受けた後、高市首相にすぐ電話しましたが、一説には高市首相に余計な問題を起こすなと押さえつけるような言い方で、高市首相はだいぶ「へこんだ」とも言われています。高市政権としては、米国側にも一矢報いたかったのではないか。つまり、このまま米国が日本に対し冷めた対応をとるなら、もう米国の核の傘などあてにせず、独自に核武装をしてやろうではないかという開き直りです(そうだとすれば子供っぽい発想ですが)。これが奏功したのかどうか、米国国務省の報道担当者は12月19日、「日本は核不拡散や核軍備管理の国際的なリーダーであり、重要なパートナーだ」と述べ、日本の核保有論を牽制するとも、高市政権の不満をなだめるともとれる立場を表明しました(『京都新聞』12月21日)。
そして第三は、非核三原則を見直す機運をつくることです。高市首相は非核三原則の見直し(特に「持ち込ませず」の削除)を持論としており、安保関連3文書の改定のなかで、それを行う意向でしたが、11月26日の国会における党首討論のなかで、公明党の斉藤代表から非核三原則を見直すのかについて問われ「非核三原則を政策上の方針としては堅持している」と述べ、「持ち込ませず」についても、民主党政権時代の岡田外務大臣の答弁を引き継いでいると公言せざるを得ませんでした。高市首相としては野党の言い分を呑んだ恰好で、不本意だったにちがいありません。これもわたしの憶測にすぎませんが、国会での「敗北」ないしは「挫折」を、世論の盛り上げによって挽回するというポピュリズム的な手法を高市政権はとろうとしている気もします。
もとより日本が独自核を持つことは不可能に近いでしょう。それは高市政権とて百も承知しているはずです。核不拡散条約体制からの離脱は日本を北朝鮮のような立場に追い込むことになり、世界を敵に回すことになります。しかし官邸幹部の「核保有論」が呼び水となって、核論議がもはや世上でタブー視されなくなれば、非核三原則の見直しも一気に敷居が下がります。現に政治家たちも、SNS投稿者たちを始めとする国民の一部も、積極的に核論議を始めています。それも肯定的に。
わたしは官邸幹部による「核保有論」の背後に、高市首相の意思を感じざるを得ません。「やられたらやり返す」という好戦性、そして自らの支持層を世論として押し通していくポピュリズム的政治手法です。こうした官邸主導の政治スタイルは三権分立の危機にもつながりかねないと危惧します。
—————————————