9月に入りました。9月1日は防災の日で、今月は台風や長雨も気になる時期ですが、今現在も台風15号が発生中です。今年は例年とくらべても一層気温が高く、台風の巨大化や線状降水帯の発生に注意を払い、日ごろから備えを意識しておく必要があるでしょう。15号が過ぎ去ったら、これからに備えて、今現在心配なことを解消するよう、準備を増強しましょう。
さて、今回は少し防災の話からは離れて、別の話を。
私事ですが、8月に、生まれて初めて沖縄へ行きました。それこそ台風が発生しないかどうかドキドキしながら天気予報を見ていましたが、なんとか行って帰ってくることが出来ました。
沖縄へ行った目的は、基本的に夏休みのプライベート旅行で遊びに行ったのですが、回りたかった場所はいくつかあります。戦後80年を迎えた年でもあるものの、これまであまり戦争について真剣に学んだことや考えた経験がなかったことから、これではよくないのではないかと思い立ち、例えば基地の問題や、ひめゆりの塔について実際に見に行くことが目的でした。普天間基地の周りを歩き、近くの美術館に行き、また、ひめゆりの塔とその資料館を見に行ったことで、いろいろと戦争に関して知ったことや考えたことはありますが、今回は直接の戦争の話ではない話をしたいと思います。
それは、ひめゆりの塔の資料館で、とても印象に残ったことです。ご存じの通り、ひめゆりの塔は、沖縄戦で犠牲になったひめゆりの女学生や教員らについて、その記録を残し説明している場所で、横に資料館があります。1時間滞在しましたが、動画コンテンツも多くあり、また、順路の最後の部屋には犠牲になった学生さんや教員らの一人ずつの顔写真と、人となりやエピソードを紹介するパネルに埋め尽くされた部屋があったものの、全ての人の分を読むには時間が足りませんでした。中には13歳、14歳という年齢でにわかに看護を教えられ、現場に出された子どももいて、壮絶な経験は想像してもしきれていないと思います。
さて、そんな中、たまたまパネルのなかに、当時のひめゆり女学校の校長先生のパネルを発見しました。当時の校長であった野田貞雄先生は、他の集合写真でも優しそうな誇らしげな表情で学生らに囲まれて映っている写真があります。命の大切さを説いていたというエピソードも紹介されていましたが、私が衝撃を受けたのは、写真の下のエピソード紹介に野田先生は『決して子どもたちを呼び捨てにしてはいけませんよ』と他の先生たちに教えていた、と書かれていたことです。
私が経験し、知る限り、小学校・中学校・高校での児童生徒の先生による呼び捨ては、当たり前のように行われ、今でもしばしばみられます。私は、教育現場で教員が児童生徒を呼び捨てにするのは良くないと考える立場です。名前はその人固有のものであり、会話の中でその人を特定し示すものですが、呼び捨てにしてしまうことで、それは軽く扱われてしまうと考えるからです。逆に、〇〇さん等と年下でも年上でも相手を尊重して呼ぶときには、権利侵害や相手を蔑ろにすることは起きにくいと思います。もちろん、言葉だけを丁寧にしても、実態が伴わないこともあるかもしれませんが、それでも、教育現場で教員が自ら率先して、相手が友達でも尊厳は保つ姿勢を見せることは大切だと思うのです。ゆえに、私は先生には児童生徒を呼び捨てにせず、敬称をつけて呼び、接して欲しいと思うのです。
そんなことを考えている私にとって、突然に出会った野田先生の紹介文章は衝撃でした。1940年よりも以前に、もうずいぶん以前から軍国的な動きはあったであろうに、学校の中で子どもの呼び捨てをしないようにという考えを広めようとしていた先生がいたことに感動です。思春期や成長期の子どもたちなので、時には叱られることもあったでしょうが、どんなときにも上から呼び捨てで怒鳴り散らされることなく、向き合って指導されたのであれば、子どもたちも自分が尊重される存在であると、いわゆる自己肯定感や自尊心を保てたのではないだろうかと思います。
戦争により多くの人の命が奪われる状況になると、人の尊厳や福祉や幸福は後回しにされたり、蔑ろにされます。私たちが、お互いが大切な存在であり、共に社会をつくっていく関係であるとしっかり認識し、お互いに尊重しあうことは、平和な社会をつくっていくために大切なことです。自然災害は防ぎようがない部分が大きいですが、人の関係性は私たちが自分自身で対応を変えられるものでもあります。9月は、学校が再開するなかで、子どもたちの悩みが膨らむこともある時期です。こども真ん中社会と言う言葉もできていますが、周りにいる大人が子どもたちへ優しい言葉をかけ、優しいまなざしを向けたいものです。相手を気遣うことが出来る社会は平和になるでしょうし、また、自然災害が発生したときも助けある社会になるのではないでしょうか。
