時が過ぎるのは早いもので、2025年も1/4が過ぎ、桜の季節もそろそろ終わり、兵庫県南部で天気予報を見ていると、本日4月18日は「夏日になるところもあります」という気象予報士さんの声が聞こえてきました。四季ってなんだったけ?と思う今日この頃です。
さて、2025年ということは、2000年代もすでに四半世紀が過ぎたわけですが、ついこの間「ミレニアム」という言葉が流行ったように思うのですが…。
今回は、節目のタイミングですので、社会福祉や社会保障にまつわる記憶をたどってみたいとおもいます。
まず、最近の人口をご存じでしょうか。私が高校生ぐらいの時の記憶では「1億2000万人」と覚えていたような気がしますが、総務省統計局によると2025年(令和7年)3月1日現在で1億2344万人です。私の記憶はおおよそ合っているようですが、大雑把に捉えすぎだった気もします。しかし、そんなに人口は変わらないんだな、というわけではありません。
今年50歳になる私が中学生・高校生だったのは1990年頃ですが、1990年の人口は1億2353万人だったようです。2025年と比べると、1990年の方が9万人ほど多かったようで、概数では似たような感じです。しかし、実際は1990年の日本では、まだまだ人口が増加している途中でした。1999年で世紀末が訪れた時も、その後21世紀が始まった年も、2008年に金融危機が起こり経済的に打撃を受けた年も、人口は増え続けました。しかし、その後2010年に最大人口の1億2807万人になったのですが、翌年2011年からは人口減少に転じました。それ以降、合計特殊出生率も下がっている為、今後も人口は減少し続けると予想されています。
大阪万博が始まり、1970年の万博の記憶がある人にとっては、その後の日本の変化を思い出していただくと、この55年で目まぐるしく変化したと感じられるのではないでしょうか。
1970年、大阪万博がにぎわっていた頃、ベビーブームだった団塊の世代の方は20代前半でした。若者が多い日本は、きっと活気があったことでしょう。しかし同時に、日本社会は高齢化率が7%に達し「高齢化社会」が到来していました。
1973年は福祉元年と呼ばれ、高齢者の医療が無料化されました。また、高額療養費制度が創設されたのもこの年です。そして、オイルショックがあったのもこの年で、このころまでが高度経済成長期と呼ばれました。
1970年代前半には団塊ジュニアとも呼ばれる世代が誕生する第二次ベビーブームにもなりました。しかしその後、70年代後半からは出生率は減少しいています。
1980年代以降は、公的医療保険や年金制度の改革が始まりました。無料だった高齢者の医療費は、一部が本人負担となりました。
その後、平成になり少子化問題、核家族化が進み介護の社会化の必要性から介護保険が誕生し、依然として少子化が進み、高齢化率は上昇し、今に至っています。
今開幕している大阪万博にはいろんな意見があるようですが、どっちがいいとかではなく前回と今とについて考えると、半世紀ほどが過ぎる中で、私たちの生活も、価値観も、日本の経済力も、社会も、何もかもが大きく変化したのではないかと思います。もちろん、古くから変わらずに有りつづけるものもあるでしょう。昔のモノが良かったというものもあるでしょう。一方で、55年前にはなかったものが、身の回りにたくさんあります。パソコン、スマートフォン、AT自動車、インターネット、ドローン、電子マネー、生成AI(どころか、AIそのもの)などなど。これらは基本的に生活を便利にしてくれているものだと思います。生活の中では、個人情報という概念がひろまり、個人情報保護法という法律があるということを多くの人が知っている世の中になりました。プライバシーや肖像権なども、しばしば聞く言葉になりました。生活様式も変化し、「醤油を借りる」という間柄のご近所さんがいる方は少ないのではないかと思います。
55年前の暮らしや社会の方が良いのか、今の方が良いのか、というのは考えても答えが出ません。過ぎ去ったものが良く見えることもあるでしょう。年と共に昔を懐かしむ気持ちが湧くことも増えるかもしれません。
ただ、冬なのか春なのか夏なのか、季節の境目すら曖昧になっている今の時代に、私たちがこれから先を暮らしていくために、何を考えればいいのか。舞い散る桜や、急に降るヒョウや豪雨とその後の虹、舞い上がる空飛ぶ車の映像を見ていると、掴みにくい時代だなぁと思います。予想外の、不確実な、不思議なものが多いです。
さて、今年も社会保障の制度の変更がありそうです。高額療養費制度の改悪は保留延期とされましたが、昨今の一般歳出における社会保障費の占める割合が大きくなり、それを抑えようとすると、今後も、何らかの「本人負担」は導入が検討されるでしょう。
隣の家に醤油を借りに行く、米を貸してあげる、などという日用食料品の貸し借りどころか、今では米もびっくりする価格になってしまいました。私たちの負担は今後どのように変化するのでしょう。1970年ごろの人たちへの羨ましさを1点あげるとすれば、人口増加が当たり前の時代であった当時、今の人口減少とそれにまつわる負担増加はなかった事ではないかと思います。
さて、これからの2025年第2四半期、そして21世紀の第2四半期のスタートに向けて、今をどう過ごしていくか、災害の備えと、平時の生活の両立を心がけながら、将来の生活へも考えを巡らせてみるのに良いタイミングかもしれません。
