
4月になるとどうしても聞いてしまう。サイモンとガーファンクルの「April Come She Will」(66年)だ。「4月になれば彼女がやって来る。あの頃の愛は過去のこと」と歌っている。
彼女との楽しいことはいっぱいあった。それらのことを思い出して遺影に語りかける。それが一番の供養だ。と何人かに言われた。
そんなことは言われなくても分かっている。何をやっても辛くなり、悔しさでいっぱいになる。いつまで経ってもウジウジぐずぐずと泣き言ばかり言いたくなる。
でも、友人だからそう助言して励ましてくれるのだ。おれみたいに「そうか分かった。もっと堕ちろ。堕ちる所まで堕ちて這い上がれなくなれ。それからだ」などと言う人はいない。
彼女はビートルズは知らなかった。勿論、名前は知っているが興味がないということだ。それでも一緒になって聞いてくれた。彼女はおれが滅多に聞かないクラシックが好きなのだ。
市民会館でのコンサートにもよく出掛けた。それも地域のコーラスグループや高校の吹奏楽部の発表会なのだった。でも、なかなかいいなと感動した。何だか懐かしかった。おれは音楽全般が好きだからこれでいいのだ。
映画も好きで、邦洋画と隣町の鶴岡まで出掛けた。酒田には映画館がなくなってしまったからだ。おれが留守の時などは一人ででもよく観に行っていた。
酒田に戻って来た頃は、地元で名のあるレストランなどありとあらゆる店に連れて行ってくれた。でもそのうち、やきとり屋などの結局は肩の凝らない際限なく飲めるおれの好みに合わせてくれた。
魚も好きで本当に良かった。おれが漁師さんの手伝いでいつも貰ってくるというのに、もし嫌いだったら目も当てられない。でも、殆ど毎食だったから我慢の時もあったのかもしれない。
そんな彼女だったが、何よりも好きだったのが花だったと思う。花を愛していた。あちこちの家の玄関などの花壇には必ず足を止めて見惚れていたし、道端の小さな花をキレイだと微笑んでいたくらいだ。
二人でよく遠出もした。行くのは決まってチューリップやバラ園、ひまわりやコスモス、ラベンダー畑などだ。山野草も好きで、早春のカタクリ、夏のアザミ、秋ならリンドウなど、山の方まで見に出掛けた。お陰で、花は門外漢だったおれも随分と詳しくなった。彼女は空気の美味しい自然が好きだったのだ。
そんなこともあり、彼女の遺影にはちょっと豪華な花を手向けていたのだが、それも半年位で鉢植えに変えた。お金が続かなかった。でもこれは、彼女が一番よく知っていることだ。花がなくても気持ちが変わるものではない。
出掛けた後の一日の終わりは夕日だった。日本海へ沈む夕日はいろんな海岸で見た。自然の中で夕日程美しいものはないと思う。思わず息を呑んでしまう。日本海にトロトロと沈む夕日は絶景だ。格別だと思う。ドラマがある。言葉を失う。何も喋れなくなるのだ。美しいものは人を黙らせる。
田舎の夕暮れの海なんて人は誰もいない。静かに、音もなく夕日が沈んで行く。ゆっくりと、なのにあっという間なのだ。聞こえてくるのは波の音だけ。それもテンポが丁度いい。
今日も一日が終わった。平穏で何もなかった。こうした当たり前のことが素晴らしいと感じる。このことこそしあわせだと思う。
心が和む。気持ちがじわじわと安らいで行く。彼女はいったい何を思っていたのだろう。分からないがそれでいい。おれの思いはただ一つ。いつも決まっていた。それは言いたくない。ここでは言えない。今の思いが台無しになってしまう。だが、そっと小さい声で言う。「今日は、どこの、飲み屋に、する?」。ね、だから言いたくなかったんだ。
「鎮静剤」(72年)という高田渡の歌がある。マリー・ローランサンの詩を堀口大学が訳詞した。
「病気の女より(中略)、死んだ女より、もっと哀れなのは、忘れられた女です」。世界で一番悲しい女の歌かもしれない。
たまたま聞いたNHKFMの「ラジオ深夜便」で、思わず聞き入ってしまった小説の朗読を思い出す。「遮断機」という作品だった(鷺沢萌。天才小説家と絶賛されるも04年35歳没)。生と死がテーマで、家族や友人との繋がりに孤独と虚無感が漂っている。ファンタジーを売りとする浅田次郎を彷彿させた。終盤の「友人達は毎日を変わって生きているのに、私は何も変わっていない」との件。おれと同じだと思った。
また、映画「卒業」(67年)は何度も観たので強烈な印象となって焼き付いている。「エレーン」「ベーン」と叫ぶラストシーン。ベンは結婚式をぶち壊してエレンを奪い去る。スクリーンにはS&Gの「サウンド・オブ・サイレンス」が流れていた。中3の時だったが、おれはあの頃のままで浅はかさは何も変わってはいない。彼女のことは、もし罰が当たったのだとしたら、いったいいつになったら許してもらえるのか。
今でも毎日海を眺めている。変わらないのは海の青さだけだ。波の音を聞いては心が穏やかになり、落ち着いてきたところで家へ帰る。誰もいないが、今日も「太陽を追いかけて」、明日を生きる。これでいいと、思うようになった。
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