
福井県での『明日のハナコ』事件について語り、暴れ、呼吸を止め、踊る芝居を出ずっぱりの役者として三都市上演した。セリフを何十回くりかえしただろう。「カラスカラス……」って繰り返してると、そのうち「カラスってどうしてカラスっていうんだろう」という不思議な思考がやってくる。この事件はどうして私には事件だと感じたのだろう。
私は和歌山県に何回か演劇コンクールの審査員として呼ばれたことを思い出した。三十年ほど前だろうか。和歌山県は近畿ブロックでは「勝てない」県だった。セリフの上手な、動きの巧みな、プロの出来に近いような上演がでてこない。そういう「プロみたいに」巧みな子供たちの促成栽培っぽい演技は、大阪、京都、兵庫の都市圏のいわゆる「近畿大会常連校」のベテラン教師指導の部活から産出される。
ちなみに、高校演劇の熱心な教師たちの多くは、おおむね「プロ」「小劇場の流行」の作品をよく勉強していて、発声法、役者の立ち居振る舞い、動きのリズム、台本の構成までよく影響されている。「上手」そうな流儀でプロはだしに生徒を訓練してつくってくる。しかしそれは専門審査員にはわりあい退屈を感じさせるもので、必ずしもウケがよくない。日々演劇漬けの専門家たる私たちは、普段見なれたそういう手つきの時空間には少々飽きていて、達者さ、巧みさのレベルを見るなら、よほど同業者ので十分なのであって、ここに来たからには、そういう二番煎じの上手「ふう」なものよりは、むしろ世界に二つとないオリジナルなものの方が刺激的なのだ。どこか破綻していたり、下手くそであっても魅力があるものがここにはある。独創性、という物差しで専門家は日々を生きている。世界をさまよい、あこがれて生きている。どこかで見たようななにかのお手本にむけて調教された従順な子供たちを見たところで味気ない退屈を感じるから、生あくびをかみ殺すことになる。まあ大変だね、と感心して終わってしまう。自分の魂が震えるような興奮は、わけもなくそこにいる十七歳の存在の強さにこそ期待しているところがあるのだ。
閑話休題。和歌山県の顧問たちはそれにしても、私にはどうにも理解できない下手くそな芝居を審査会で推した。顧問審査員の数「2」が専門家審査員である私の「1」より多かったから、何年も私の票が通らなかった。そして、数年続けていくうち、そのわけがわかった気がした。彼らはいわゆる困難校の部活動をひいき(失礼!)していたのだ。言葉は悪いが、彼らはコンクール当日の上演成果だけを対象にしているわけではなさそうだった。困難校で生徒を演劇部に所属させ続ける困難、不登校になりそうな生徒を学校に通う支えにする苦労、演劇を通して生徒が生きる自信をつける過程の喜び、そんなのがぎりぎりの日常になる部活動の重い意味と充実、そういうものを評価して推しているらしかった。私はそんな事情は知らない。だから当日上演された芝居の成果だけを対象に推すべきものを推すだけだ。しかし、大会が終わって、帰りの電車までの時間にかわす教師らとの対話の中で、私はたいていさわやかに「自分の言い分が通らない」ことを喜ぶことになっていた。演劇はなんなのか、なんの意味がある行為なのか、を私は反省させられた。教師というのはこういう生き物なのか、と私は知らされる思いがした。生徒の生を支えたい生き物。生徒の未来をあらゆる方途で探りたい人たち。同業者の地道な実践を、教師たちは尊敬していた。それが強い推しにつながっていた。
それが教師だったはずだ。だけど、三十年たって福井で起こったこの事件は、教師が真逆のところまできてしまってることを教えてくれた。県内でも偏差値の低いとされる高校の、不登校ぎりぎりの子らが集まる演劇部の実践を、大した理由もなくふみにじるような教師集団になっていたのだ。積極的に踏みにじる教師たちだとまでは言わない。ただ、上に点数稼ぎしたい癖の強い、かわりものでちょっと名の通った校長のごり押しの問題発言を前にして、黙ってしまう消極的な教師たちがいた、ってことだ。三十年前の和歌山ならこんな決定は通っていない。排除が普通科の公立高校ならまだしも、底辺校(失礼!)の農林高校を相手にしている点で、教員たちは断固団結して抵抗したはずだ。会議が何時間になろうとも、一歩も譲らなかったはずだ。抵抗する意地の強い教員は 二人や三人ではなかっただろう。十三人いれば七-八人は顔色を変えて椅子から立って声を出しただろう。