先月に接したニュースの中に、山口県にあった長生炭鉱の事故とその犠牲になった人々の遺骨を探しているというものがありました。
1942年2月、長生炭鉱の海底坑道が崩れ、労働者183人が冷たい海にのみ込まれた。戦争遂行のため、安全を度外視した採掘の中での事故。とりわけ戦時中、足りない人手と「安価な労働力」が植民地支配下の朝鮮半島に求められた。犠牲者のうち136人が、朝鮮の人々だった。https://t.co/p4eUSQx4Xe
— 安田菜津紀 Dialogue for People (@NatsukiYasuda) November 17, 2024
ついに長生炭鉱の坑道を開ける工事が始まった。
国が動かない中、100%市民の手で、82年前に生き埋めとなった183名の遺骨を収容するその第一歩。
果たして坑口は見つかったのか。掘削工事1日目のリポート。#長生炭鉱 pic.twitter.com/n1QB3M2E55— Choose Life Project (@ChooselifePj) September 24, 2024
政府が全く動こうとしないため、遺族の願いにこたえたいと思った市民の方々が、クラウドファンディングでお金を集め、プロの潜水探検家の方の協力を得たりしながら、難しい捜索活動を開始しています。関係者は政府が動くことを求めていますが、まだ実現していません。
この話を聞いて思い出したのが、京都大学に対する琉球遺骨返還訴訟です。この問題は断片的に目にすることはあったのですが、今一つ全体像をつかめないままにきたところ、駒込武先生のご著書に詳しく掲載されていたのを読みました。
<書評>『統治される大学 知の囲い込みと民主主義の解体』駒込武 著:東京新聞 TOKYO Web https://t.co/QQj94yfg0s #大学自治 #産学共同 #自由
— 日向わたる (@a_galux) November 12, 2024
ネット上で読める記事もいくつかありました。
1929年に京都帝国大学(当時)の研究者が、琉球の習慣で埋葬されていた遺骨を勝手に持ち帰り、その遺骨は現在も京都大学が保管しています。遺族の方々が返還を求めているのですが、京都大学は学術研究を盾に応じようとしていません。裁判では遺族の訴えが退けられたのではありますが、それは、「本州の習慣での埋葬を基本にした民法で判断すると、遺族の訴えが法的には認められない」というものであり、担当裁判官は、遺骨は故郷に返すべきだという意見を述べています。
この件で私は、NHKの朝ドラ「虎に翼」でも扱われた原爆裁判を思い出しました。法律的には原告(被爆者)の訴えは認められないが、今日に至るまで被爆者が救済されていない現状に対して「政治の貧困を嘆かざるを得ない」という意見が付され、後の被爆者援護法の制定にもつながったというものです。「原告が敗訴したから、京都大学が正しい」ということではありません。
いずれも遺骨をめぐる問題と言えますが、遺骨というと思い出すのは、東日本大震災で被災した菊田心くんが書いたこちらの詩です。
「おじいちゃん、見つけてくれてありがとう。さよならすることできました」という言葉が、とてもしみいります。
遺骨というのはとても大切なものだと思います。また、遺骨に関する習慣は国によっても地域によっても異なります。私はごく最近、関東の骨壺は関西よりもずっと大きくて、ほぼすべての骨を拾うのだと聞いて驚きました。自分が慣れている習慣や思い込みを少しわきに置いて、亡くなった方やご遺族がそれぞれの立場でどういう気持ちでいるかを考えたいと思いました。
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