遺骨に関する問題

先月に接したニュースの中に、山口県にあった長生炭鉱の事故とその犠牲になった人々の遺骨を探しているというものがありました。


政府が全く動こうとしないため、遺族の願いにこたえたいと思った市民の方々が、クラウドファンディングでお金を集め、プロの潜水探検家の方の協力を得たりしながら、難しい捜索活動を開始しています。関係者は政府が動くことを求めていますが、まだ実現していません。

この話を聞いて思い出したのが、京都大学に対する琉球遺骨返還訴訟です。この問題は断片的に目にすることはあったのですが、今一つ全体像をつかめないままにきたところ、駒込武先生のご著書に詳しく掲載されていたのを読みました。


ネット上で読める記事もいくつかありました。



1929年に京都帝国大学(当時)の研究者が、琉球の習慣で埋葬されていた遺骨を勝手に持ち帰り、その遺骨は現在も京都大学が保管しています。遺族の方々が返還を求めているのですが、京都大学は学術研究を盾に応じようとしていません。裁判では遺族の訴えが退けられたのではありますが、それは、「本州の習慣での埋葬を基本にした民法で判断すると、遺族の訴えが法的には認められない」というものであり、担当裁判官は、遺骨は故郷に返すべきだという意見を述べています。
この件で私は、NHKの朝ドラ「虎に翼」でも扱われた原爆裁判を思い出しました。法律的には原告(被爆者)の訴えは認められないが、今日に至るまで被爆者が救済されていない現状に対して「政治の貧困を嘆かざるを得ない」という意見が付され、後の被爆者援護法の制定にもつながったというものです。「原告が敗訴したから、京都大学が正しい」ということではありません。
いずれも遺骨をめぐる問題と言えますが、遺骨というと思い出すのは、東日本大震災で被災した菊田心くんが書いたこちらの詩です。

「おじいちゃん、見つけてくれてありがとう。さよならすることできました」という言葉が、とてもしみいります。
遺骨というのはとても大切なものだと思います。また、遺骨に関する習慣は国によっても地域によっても異なります。私はごく最近、関東の骨壺は関西よりもずっと大きくて、ほぼすべての骨を拾うのだと聞いて驚きました。自分が慣れている習慣や思い込みを少しわきに置いて、亡くなった方やご遺族がそれぞれの立場でどういう気持ちでいるかを考えたいと思いました。
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西垣順子<大阪公立大学 高等教育研究開発センター>
滋賀県蒲生郡日野町生まれ、京都で学生時代を過ごす。今は大阪で暮らしているが自宅は日野にある。いずれはそこで「(寺じゃないけど)てらこや」をやろうと模索中。老若男女、多様な背景をもつ人たちが、互いに互いのことを知っていきながら笑ったり泣いたり、時には怒ったりして、いろんなことを一緒に学びたいと思っている。著書に「学生と考えたい『青年の発達保障』と大学評価(晃洋書房)」(編著)など。


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