石破首相が10月10~12日の日程で東南アジアのラオスを訪問しました。首相就任後わずか10日目という早い時期での初外遊でした。東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会談などに出席するためとのことですが、日本外務省のホームページを見ると、3日間に驚くほどの外交をこなしたようです。
それらの日程を箇条書きすれば、以下のとおり。
・10日……日本・ASEAN首脳会議
・10日……ASEAN+3国(日中間)首脳会議
・11日……東アジア首脳会議(EAS)
・11日……アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)首脳会合(石破氏が議長)
その合間には、精力的に2国間外交も展開したようで、ASEAN諸国首脳との会談のほか、日韓首脳会談(10日)、日中首脳会談(10日)、日印首脳会談(10日)、日豪首脳会談(11日)も行われました。米国はバイデン大統領が欠席し、代わりにブリンケン国務長官がラオスを訪問しましたが、外務省の記録を見る限り、石破首相とブリンケン長官による会談はなかった模様で、日本にとって一番緊密な関係にある米国との2国会談が行われなかったのはやや奇異な印象を受けました。
ともかく、今回の外遊は石破首相にとって外交デビューの晴れの舞台となったわけですが、どう評価したらいいでしょう?
石破氏は首相就任以前から、外交・安全保障問題への強い意欲を示し、とりわけ「アジア版NATO」の創設を持論として内外に発信していました。もしそれを創設するとなれば、ASEAN諸国が中核になることは容易に推察できますから、この持論を説く絶好のチャンスだったはずですが、どの会議においても一切言及することはありませんでした。
実は石破氏は、ラオスに出発する前の9日、記者団に対しアジア版NATO構想に関して「自民党内で議論が煮詰まっていないので、今回の会議で提起するつもりはない」と表明していました。ですから、ラオスでこの構想の提起を「封印」したことは意外ではありませんでしたが、それにしても腰砕けの感は否めませんでした。
党内での議論が煮詰まっていれば提起するつもりだったのでしょうか?
もし提起していれば、「石破外交は大失敗」との烙印を押されていたことでしょう。今回の外遊は「石破色」を極力薄め、岸田外交の継承を印象づけ、とにかく波風を立てずに無難に終わらせることが最大の目標だったのではないでしょうか。石破体制になっても日本は変わらないと、ひとまず他国を安心させることに腐心していた印象を受けます。アジア版NATOを持ち出したとたん、石破首相は四面楚歌の状況に陥り、メンツは丸つぶれだったことと想像します。
アジア版NATOはなぜそんなに評判が悪いのですか?
NATOとは要するに多国間による軍事同盟です。そして軍事同盟は仮想敵国がいて結ばれるものです。NATOの仮想敵はロシアです(冷戦時代はソ連や東欧諸国でした)。アジア版NATOの場合はどうでしょう。中国や北朝鮮そしてロシアということになるでしょう。しかし(日本以外の)アジア諸国は、敵と味方に峻別する発想をそもそも好みません。特に中国とは長い歴史のなかで切っても切れない関係を結んでいるのが現実です。ASEAN自体も、敵対する勢力のどちらか一方に荷担しないという中立性を基本としています。
マレーシアのモハマド外相もASEAN首脳会談に先立ち、「われわれはASEANだ。ASEANにNATOは必要ない」と記者団に語って、石破氏に釘をさしていました。インドのジャイシャンカル外相も「われわれはいかなる国とも安保条約は結んでいない。戦略的枠組みは念頭にない」と言明しました(『日経新聞』2024年10月11日)。中国やロシアが様々な形でアジア版NATOを批判しているのは言うまでもありません。
石破首相のラオス訪問中に、日本被団協のノーベル平和賞受賞が決まりましたね。石破氏としては日本の団体が栄えある賞を受賞し、日本の平和主義をアピールする上でも面目を施したのではありませんか?
たしかに石破氏は現地での記者会見で「極めて意義深い」と祝意を表しました。
しかし、この日本被団協のノーベル平和賞受賞は、核兵器に関する石破氏の構想に冷や水を浴びせるものでもありました。
それはどういうことですか?
石破首相は日本が米国と核兵器を共有すること、そして日本国内に米国の核兵器を持ち込み配備することを検討すべきだと論じています。石破氏が自民党総裁に決まった9月27日、米国のシンクタンクであるハドソン研究所に掲載した論文のなかでそれを明言しているのです(同論文の「国家安全保障基本法の制定」の第3段落)。
日本被団協代表は、ノーベル平和賞受賞にあたっての記者会見のなかで、石破氏のこの「核共有」論を「論外」と語気を強めて批判していました。
とりあえず無難にこなしたはずの外遊において、アジア版NATO構想にしろ、米国との核共有論にしろ、石破首相の安全保障政策の根幹が早くもぐらつき出していることが露呈したのです。石破氏にとっては案外苦い外交デビューだったのではないでしょうか。
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河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。 同大学院修士課程修了。 専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。 俳人協会会員でもある。 俳句誌「伊吹嶺」主宰。