はじめまして。斎藤典雄と申します。
何かのご縁でしょうか。どうぞよろしくお願いします。
おれはもうすぐ古稀を迎える。大人になれずに年だけジジィになってしまった。友人からはサイテイ典雄と呼ばれている。男やもめの大酒飲みだ。さみしい毎日を送っている。ずっと無職で生きている。
また、おれは一応暇だということになっている。先は残り少ない。至らないことばかりで生きてきたが、年のせいなのか恥じらいというものがなくなった。若い頃ならかっこつけたと思う。今なら素直に書ける。あれこれと思いを書いてみたい。
ＪＲに勤めていた。55で早期退職をした。ふるさとの酒田へ戻って来た。母親が認知症になったからだ。一大決心だった。
母親は施設に預けた。一昨年95才でこの世を去った。施設には本当によくしていただいた。感謝してもし切れない。おれのことは10年以上も分からなくなっていた。よく生きてくれたという思いが大きかったからか、それ程悲しくはなかった。
東京への未練はあった。愛など幻想にすぎない。若かったおれは、もっと些細なことに気を遣うべきだったかもしれない。「さぁ、おれは新しい生活を始める」。あばよ、東京の女達よ。心を鬼にして酒田に戻った。
早期退職だったので退職金は３０００万円近く貰えた。これは、会社が勧めていた施策に応じたお利口さんだったからだ。が、マンションのローンの残りの返済で殆どが消えた。マンションは息子夫婦にくれてやった。
一年位はのんびりして、その後は働くつもりでいた。そんなある日、漁師さんと出会った。おれよりずっと高齢だった。その偶然の出会いが、今思えば奇跡だった。港に遊びに行くと魚を貰えた。獲れたての魚を何度も貰った。「何かお礼を」と、おれは強引に船に乗り込んだ。手伝いをするために。
それからだ。信じられない、夢のような生活が始まった。おれは海には出ない。させてくれなかった。危険だからだ。手伝いは、漁から港に戻った船の中で網から魚を外すだけだ。それも午前中の２～３時間だけ。
おれは魚のことは何も知らない。東京にいた頃、相模湾などに職場で釣りに何度か行った位だ。だから素人だ。魚のさばき方や調理の仕方は漁師さんが親切丁寧に教えてくれたのだ。
おれはその頃畑をやっていた。親戚から好きに使っていいと言われた。トマトや茄子、いんげん、大根やじゃが芋など、見様見まねで作っていた。だから食費が浮いた。驚く程かからなかった。これだと仕事をする必要はない。まさに晴耕雨読だ。これこそ願ったり、もってこいの暮らしではないか。
だが、自給自足とまではいかない。外飲みや外食は一切止めた。節約倹約に徹した。ゼイタクさえしなければ十分やっていけた。働くことはないと確信した。それがすっかり板につき、今現在に至っている。
手伝いは秋鮭漁が始まりだった。コーフンした。鮭はスーパーで切り身しか見たことがなかった。80センチもの１本の鮭をマジマジと目にしたのは初めてだった。ゴーカイそのもの。まるで自分が獲ったかのように錯覚した。東京の同僚や子どもらに送りまくった。得意になっていた。
おれが今いるマンションは港からすぐの所にある。手伝いから戻ると住民の誰かと会ったりする。「釣りにでも行ったの」と聞かれる。なにしろ、おれの格好といったら、魚をどっさりと抱えて、洋服のポケットからは魚の顔がはみ出しているかのようなのだ。アジ、サバから、なんとマグロまで貰えたりした。当然、分けてあげた。
そのうち、他の漁師さんとも仲良くなった。鮭漁が終わり春になると、潜りの漁師さんの手伝いをするようになった。ナマコやワカメ。アワビやサザエ。夏の岩ガキ。海の中は魚介の宝庫だった。海は日本海銀行だ。漁師さんにしてみれば全てが金なのだから。
東京から同僚たちが来るようになった。次々とやって来た。おれの暮らしが面白かったのだろう。あっという間に「なんちゃって斎藤旅館」と化していた。
本当に楽しかった。人生何が起こるか分からない。二人三脚でやって来た、最愛の彼女が死んで三年になる。彼女がおばあちゃんに、おれがおじいになるまで二人で生きて行くはずだったのに。
先日、酒田ではとんでもないことが起きた。自然災害は防ぎようがない。ここは高台だから助かった。
今はただ、何もなかったか前の日常に戻ることだけを祈っている。

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斎藤典雄
山形県酒田市生まれ。高卒後、75年国鉄入社。新宿駅勤務。主に車掌として中央線を完全制覇。母親認知症患いJR退職。酒田へ戻り、漁師の手伝いをしながら現在に至る。著書に『車掌だけが知っているJRの秘密』（1999、アストラ）『車掌に裁かれるJR:：事故続発の原因と背景を現役車掌がえぐる』（2006、アストラ）など。