カナリア朗読劇場~「日本国憲法」第20条

龍谷大学政策学部教授で「憲法9条京都の会」事務局長の奥野恒久さん解説による憲法朗読第4シリーズ2回目は、第三章 国民の権利及び義務から「信教の自由」を定めた第20条です。
朗読はフリーアナウンサーの塩見祐子さん、イラストはかしわぎまきこさん、動画の再生時間は1分2秒です。引き続き前文はこちらからお聞きください。

《第20条解説
憲法20条は、1項前段と2項で信教の自由を保障しています。信仰する宗教を選択したり変更する自由のみならず、無信仰の立場をとる自由、さらに信仰を告白する、あるいは告白しない自由を保障しています。また、礼拝や祈祷といった儀式、祭典、宗教的行事を行う、あるいは参加する自由を保障しています。もちろん、これら宗教的行事への参加を強制されない自由も保障されています。
憲法20条1項後段と3項によって、政教分離原則を採用しています。すなわち、宗教団体が国家から特権を受けることと宗教団体が政治的権力を行使することを禁止するとともに、国家(地方自治体も含む)が宗教活動を行うことも禁じています。それゆえ、国家の機関である首相や国務大臣が特定の宗教法人である靖国神社に参拝することが憲法違反でないかと問題になるのです。
日本国憲法は宗教を敵視しているのではなく、宗教はあくまでも個人の問題として、個人の信教の自由を最大限保障するからこそ、国家は宗教に対し中立的であるべきだ、としているのです。公権力は自らやその政策を正当化し、権威づける手段として宗教をしばしば利用してきました。戦前・戦中、大日本帝国は国家神道体制をとっていました。そこでは、天皇のために戦い戦死した者を靖国神社に「祭神」として祀り顕彰することによって、戦死という「負」の感情を「名誉」という感情に変容させ、戦争遂行を支えたのです。人々の心に影響を与える宗教を公権力が利用することの危険性を踏まえて政教分離原則が採用されたのです。またそもそも、公権力が特定の宗教と結びつくと、他の宗教やその信者、とりわけ宗教的少数者は直接的・間接的に圧迫されるでしょうし、政治的議論の場に宗教が持ち出されるなら、理性的な議論は困難となるでしょう。日本において、政教分離原則は理に適った制度ではないでしょうか。
もっとも、たとえば宗教系の私立学校に国家が助成を行うなど、国家と宗教とが何らかのかかわりをもたざるを得ないのは事実です。そこで、多くの憲法学説は、やむを得ない理由がない限り、原則として国家は宗教とかかわるべきでないと解しています。
今年の1月、陸上自衛隊の幹部たちが靖国神社を参拝し、問題になりました。その一方で、近年日本では集団的自衛権の行使や敵基地攻撃能力の保持を容認し、「戦争のできる国」へと進んでいます。だとすると、戦死する自衛隊員を出すことも覚悟しなければならない、ということでしょうか。戦争という理不尽なことを進めるために、国家は人々の心まで支配しようとする。この歴史を踏まえた日本国憲法の政教分離原則を改めて確認したいものです。

※次回は5月30日(木)に第41条・第43条を公開予定です。


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