2月11日、フィンランドで大統領選の決戦投票が行われ、中道右派「国民連合」のアレクサンデル・ストゥブ氏(元首相)が中道左派「緑の党」が支援するぺッカ・ハービスト氏(前外相)を僅差で破り、当選したと報じられました(ストゥブ氏が51.6%、ハービスト氏が48.4%。投票率は70.7%)。大統領選挙は9人が立候補し、1月28日に行われましたが、過半数の票を得た候補者がいなかったため、上位2名で争われての決選投票だったそうです。この結果をどう見ますか?
フィンランドでは内政を司るのは首相ですので、大統領は外交政策を主導し、国防軍の最高司令官として防衛政策に関与することが主要な務めとなります。ですから今回の大統領選挙では、国家の安全保障政策と対外路線が問われたということでしょう。
フィンランドは昨年4月4日、従来の「軍事的非同盟」を捨て、NATOに正式加盟しましたが、両候補者ともこの路線を継続する点では一致しています。ただし、当選したストゥブ氏のほうがロシアに対しより強硬で、より親EU・NATO的だといわれています。核兵器を運搬する際の国内通過を許容し、NATO軍の国内常駐にも賛成の立場をとっていることにもそれが窺われます(ハービスト氏はどちらも不要との立場です)。
フィンランドといえば冷戦時代は「中立政策」がトレードマークで、1995年のEU加盟を機に「軍事的非同盟」を標榜していましたが、昨年その路線と訣別して、NATO加盟を果たしました。この転換を促した要因は何ですか?
それは非常にはっきりしています。一昨年2月に勃発したロシア軍によるウクライナ侵攻です。フィンランドはロシアと約1300キロの国境線で接しているだけでなく、歴史的にも何度か戦火を交えてきました。ロシアに対する脅威感を最も強く持つ国の一つです。両国の戦争の歴史をごく簡略に説明してみましょう。
フィンランドとロシアは、以下のとおり歴史的に4回戦争をしてきました。
【第1次戦争 1918.03~1920.10】
フィンランドの政府軍が国内の社会主義勢力を追撃し、ソ連(厳密にはこの呼称は1922年から。当時はロシア社会主義連邦共和国)の東カトレア地域に侵入。ロシア革命時の内戦に乗じての欧米列強による軍事介入の一環。
【第2次戦争 1921.11.06~1922.03.21】
フィンランド軍(義勇軍の形をとった)がソ連のカトレアへ侵攻。1922年3月、両国は国境不可侵の条約を結び終結。
【第3次戦争 1939.11.30~1940.03.13】
通称「冬戦争」。フィンランド側の軍事的挑発を口実としてソ連軍がフィンランド領のカトレア地峡の東部その他の地域を奪取。1939年8月23日の独ソ不可侵条約と同時に結ばれた秘密議定書に基づき、ソ連はバルト3国とともにフィンランドも自国の勢力圏と見なしたことによる対フィンランド介入。ソ連第2の都市レニングラードを守るため、フィンランドとの国境線をより西へ移すことがねらい。この軍事侵攻のせいでソ連は国際連盟から追放された。
【第4次戦争 1941.06.22~1944.09.19】
ソ連側からすれば大祖国戦争の一環。フィンランド軍・ナチスドイツ軍の連合軍に対するソ連軍の戦い。1940年秋以降、ドイツ・フィンランド間の秘密協定によりフィンランド領内にドイツ軍が駐留。1941年6月、ドイツ軍がソ連に侵攻すると、フィンランドもソ連に宣戦布告。フィンランドは「冬戦争」による失地を取り戻し、さらに攻勢をかけるが、ソ連軍は持久戦により持ちこたえる。1943年、ドイツ軍の敗北が見えてくると、フィンランドは動揺し守勢に。ただし、ソ連はフィンランドを死活的に重要な地域とは見なさず、占領を思いとどまって、戦力を東欧とベルリン方面に振り向けたことや、フィンランドの粘り強い抗戦により、独立を保った。フィンランドは戦後も社会主義圏に入ることなく、中立化。
以上の説明は、主としてロシアの歴史解説のウェブサイトやロシア語版ウィキペディアを参照しましたので、表現がややロシア寄りになっている感はありますが、いずれにせよ、これらの戦争によってフィンランドは国土の約10%をソ連によって奪われました。社会主義を押しつけられソ連圏に組み込まれることは免れましたが、その条件として西側には入らない、すなわち中立の立場をとることが求められたわけです。
フィンランドはロシアの怖さを知っているからこそ、敵対することを避け、中立路線をとってきたのですね。しかしNATOに加盟したということは、中立政策ではもはやロシアからの脅威を食い止められないと判断したからなのでしょうか?
簡単にいえばそうなります。しかし、もっと歴史的に俯瞰した見方をするならば、21世紀に入って時代の潮流が変化してきているのだと思います。「中立政策」とはいわばリベラルな立場です。しかし時代はリアリズム主導に変わりました。フィンランドにかぎらず、欧米では今や「右派」とか「極右」とかよばれる政党や党派が躍進しています。フィンランドでも昨年4月に国会議員選挙が行われましたが、第1党となったのは中道右派の国民連合党、第2党となったのは極右のフィン人党で、それまで与党だった中道左派の社会民主党は第3党に転落してしまいました。
「左派」と「右派」はどう違うのですか?
単純化していえば、「左派」は人権、民主主義、少数派や弱者の尊重を重視するのに対し、「右派」は「個」よりも「集団」や「全体」を優先し、民族・人種をスローガンに掲げ、マイノリティーや移民を排斥する傾向があります。これは米国のトランプ氏支持者にも見られる傾向ですし、フランスやイタリアなどG7の国々でも顕在化しつつあります。今は詳しく論じる余裕がありませんが、安倍政権以来、わが国でもそうした様相は強まっているのではないでしょうか。こうした傾向はロシアや中国等のような専制主義的国家のみならず、民主主義国家にも波及してきているのです。
世界の自由度ランキングや幸福度ランキングで常にトップを争うようなフィンランドでさえ例外ではありません。このへんの事情に関しては、フィンランドに在住する岩竹美加子氏(ヘルシンキ大学非常勤教授)の以下の論考が参考になります。
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