貝類研究学者で詩人・シンガーソングライターでもあった山下博由氏(故人)は私がもっとも敬愛する偉人で、私は彼の著作をバイブルにしている。
氏は、干潟に生息する貝類の多様性を徹底的に調査研究し、海岸・干潟という環境がいかに地球生態系の維持に重要かを訴え、開発や原発建設に抗議を続けた。
「人は、偉そうなことは言えない」
「「科学」は、「真実」「正解」が存在するという幻想を広げてきた」
「正しいということに、なにほどの価値があるのか」
「文字が読めなければいけないのか? 人より優れてなければいけないのか?」
「沈黙の干潟」と題して山下氏が行った発表スライドには、こんな言葉が散りばめられる。
生物多様性が極めて高く「海と陸の舫」である干潟。氏の共編著『干潟の自然と文化』のまえがきでは、共編者の李善愛氏が次のように述べている。
・・・干潟は命の宝庫であり、豊かな生活空間となる。(中略)河川や地下水の真水と海水が混ざるため、生き物に必要な栄養が豊富であり、海の産婦人科といわれている。そこでは魚貝類や海藻類などさまざまな生きものが数多く生息し、多種多様な地域別干潟文化が育まれている。
1997年に再開発研究会が発足して始まった葛飾区京成立石駅周辺の再開発計画は、北口地区の事業計画を2021年に都知事が認可、2022年12月に区議会で再開発地区に区庁舎を移転する議案が可決されたことで、ついに本格的に動き出した。
私の大好きな立石の景色が今、大きく変わろうとしている。北口地区再開発組合は、今年の8月を期限とする明け渡しのお触れを対象者に出した。数年前まで「町壊し再開発は反対」ののぼりを出していたお味噌屋さんは、今はもう営業をしていない。
おばさんが何かしらおまけ(みかんとか)をつけてくれる片岡米店、金髪の男性が切り盛りする和菓子屋「わかば」・・・。それでもまだまだ元気なお店が営業を続ける北口商店街を歩きながら、生前、一緒に飲んでいるとき山下氏が口にしたこんな言葉を思い出した。
「普通にあるものは誰も記録しないので、それを知っている人が死んだら、何もわからなくなってしまう」
上からの計画がなされないままさまざまな来歴を持つ住人が勝手に広げていったカオスの町立石。軒を並べる小さなお店の一軒一軒が、海岸に生息する多様な貝類のようだと思う。そしてその1軒1軒の「普通」、総体としての町の「普通」がもうすぐ失くなる。
再開発組合は北口地区再開発事業の目的を、「当地区は・・・道路等の都市基盤が未整備のまま市街化したため、細街路が多く、老朽化した木造家屋が密集している」と説明するが、その地理および歴史的背景、他地域との連続性・希少性を評価しないまま無いものにしてしまうのは、あまりにも乱暴なのではないかと思う。
4.5ヘクタールの土地にタワマン3棟と区役所ビル。
うち、とりあえず北口地区2.2ヘクタールが今年中に接収される。
事業者は、安田財閥の流れをくむ巨大ディベロッパー「東京建物㈱」、チッソから派生した旭化成グループの旭化成不動産レジデンス㈱、国交省との関わりが深い(一社)首都圏不燃建築公社、数々の海岸埋め立て工事も手掛けてきた鹿島・三井住友建設JVに、再開発事業専門コンサルである都市設計連合。
この小さな手作りのような町に、巨額のお金が動き、巨大なものがやってくる。
《引用・参考文献》
山下博由「沈黙の干潟」(高木仁三郎市民科学基金NPO法人設立15周年記念公開フォーラム発表資料、2016年9月10日)
山下博由・李善愛編著『干潟の自然と文化』(2014年、東海大学出版部)
「ほっとらいん立石駅北口」第11号(2023年3月、立石駅北口地区市街地再開発組合)
立石駅北口地区第一種市街地再開発事業 事業計画書(2022年12月、立石駅北口地区市街地再開発組合)
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塔島ひろみ<詩人・ミニコミ誌「車掌」編集長>『ユリイカ』1984年度新鋭詩人。1987年ミニコミ「車掌」創刊。編集長として現在も発行を続ける。著書に『楽しい〔つづり方〕教室』(出版研)『鈴木の人』(洋泉社)など。東京大学大学院経済学研究科にて非常勤で事務職を務める。