ロシア国防省は4月14日、約1週間の日程で太平洋艦隊による軍事演習を行うと公表しました(20日に完了を発表)。サハリンやわが国が返還を求めている北方領土(ロシアでは南クリル諸島と呼称)への仮想敵の上陸を阻止するための訓練が主目的であると説明されました。わが国政府にも事前通告されましたが、日本外務省は「わが国の立場に反するもので、受け入れられない」と抗議しました。
実際ロシアは2万5000名以上の兵士を動員し、日本海での対空ミサイル発射や、対潜水艦を想定した魚雷による目標物破壊など、実戦さながらの訓練を行い、カムチャッカの戦略原子力潜水艦も太平洋に展開させ、超音速長距離爆撃機がオホーツク海と日本海北部の公海上を飛行するなど、相当大規模なものでした。
北方領土への上陸作戦の阻止ということは、日本の自衛隊や在日米軍を念頭に置いてのことと思われますが、われわれ日本国民からすればあり得ない想定です。日本国内でそんなことが計画されているとも考えられません。ロシア側の意図が不可解なのですが、なぜこのタイミングで、こうした軍事演習が行われたのでしょう?
公平を期して言えば、日本、韓国、米国も4月初頭に、3国合同の軍事訓練を行っていますので、ロシア側の一方的な行動と決めつけるわけにはいきません。
とはいえ、今回のロシア軍の演習が北方領土への仮想敵軍の上陸阻止を想定している以上、日本に対する警告ないしは牽制の意味合いが大きいのは明らかでしょう。昨今の日本の防衛戦略の見直し、特に防衛予算の倍増計画や敵基地攻撃能力(反撃能力)の保持などは、ロシアにとっても大きな関心事であることは間違いありません。先日(4月17日)、自民党副総裁の麻生太郎氏が福岡市で講演し、「戦える自衛隊に変えていかないとわれわれの存立が危なくなる」と述べたことがニュースになりましたが、逆に言えば、今のままの自衛隊では戦えないというのが日本国民の共通認識なのでしょう。
しかし、ロシアはそう見ていないということです。自衛隊は本格的な軍隊に変貌しつつあり、ウクライナ戦争に戦力を傾けているロシアの隙を狙って、日本が北方領土奪還など、極東で軍事行動を起こす可能性があると本気で考えているのではあるまいか。第二次世界大戦中のソ連は、日本軍とドイツ軍に東西から挟撃されることをずっと恐れてきましたし、もっと遡ればロシア革命時に日本が行ったシベリア出兵の事例もあります。歴史的にみれば、日本はロシアにとって決して油断できない国なのでしょう。
そしてもう一つ、ロシアの極東における軍事演習の背景要因として、中国の存在も見逃せません。
それはどういうことでしょうか?
4月16日~18日、中国の李尚福国務委員兼国防相がロシアを訪問し、プーチン大統領及びショイグ国防相と会談しました。
先月には習近平国家主席が訪露したばかりですが、今度は国防大臣の訪問で、わたしはこれを非常に注目すべきことと思っています。中露の軍事関係といえば、ウクライナ戦争に苦戦するロシアが中国の支援を求めているという側面が強調されがちですが、実は中国もロシア側の協力を切実に欲しているのではないでしょうか。さもなければ、中国の要人がわざわざロシアを訪問するはずがありません。しかも、李尚福国防相の訪問時に、ロシア軍の北方領土周辺での軍事演習が行われたのです。これは偶然ではないはずです。むしろロシアは中国側に自国の戦う姿勢を示したかったのではないかとわたしは見ています。
戦う姿勢とは?
台湾有事を見越して、わが国の自衛隊が着々と沖縄など南西諸島の防備を強化していることは周知のとおりです。自衛隊が米軍とともに、中国軍の行動を阻止すべく、防衛網を形成しつつあります。この対中国包囲網を何とか破綻させたいというのが中国の思惑でしょう。そして中国が期待するのがロシアの軍事力だと思われます。
現在、自衛隊の主力は南西にシフトしていますが、これは北方の防備が手薄になることを意味します。しかし北方(北方領土周辺)で軍事的脅威が高まれば、日本としても南西重視の防衛戦略を見直さざるを得ません。つまり、ロシアは中国を助けるべく、日本の自衛隊(そして米軍)を南西から北方へ引き寄せる役を買って出ようとしているものと思われます。
日本は今や、南西は対中国、北は対ロシアと、二正面で防衛力を強化せねばならない状況に追い込まれているとも言えるのです。これに北朝鮮も加えれば、これら3国を敵とする防衛力を構築しなくてはなりません。このまま軍事対決の路線を進む限り、日本の防衛予算はいくらあっても足りないことになります。そしてこれほどの軍事的脅威に晒されている今の日本は、世界で最も不穏な状態に陥りかねません。中国やロシアを追い詰めているつもりの日本が、自ら袋小路に陥っているというのが現実なのではないでしょうか。
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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。