今年のゴールデンウィークは合間の平日に休みを取ると、10連休になるというカレンダーの配置で、今日(6日)はまさに、10連休の方はお休みの日ですね。長い休みが嬉しかったのは学生までで、社会人になってからは、あまりに長い休みは、仕事がどんと溜まっているであろう休み明けが怖いとおもうようになりました。
さて、今年から大学で社会保障論の講義を担当しているので、このカナリア倶楽部のエッセイでも、関連する話を書いていきたいと思います。
「社会保障」というと漠然とはわかっていても、説明するとなると少し難しいものです。「社会」と「保障」が組み合わさった言葉ですが、細かく考えていくと、「社会」の説明からして難しいです。一体「社会」ってなに?しかし、細かいことを気にせず、ニュアンスで考えていくならば、社会保障とは「みんなが暮らすのを、安心して継続できるようにする工夫のあれこれだよ」という感じでしょうか。
社会保障の制度は、各国それぞれ違いがあるようですが、少なくとも日本では、「社会保険、公的年金、社会扶助、公衆衛生」などの各種制度からなる概念です。分類の仕方は、機能や財源、対象などで様々に分けられますが、ざっくりと説明をすると、皆保険・皆年金という言葉があるように、社会保険は保険料を自身や事業者が負担して加入し利用できる、医療・雇用・労働災害・介護に関する機能を担う制度です。また、公的年金は、20歳から60歳まで加入する国民年金を基礎年金として、職場で掛ける厚生年金や共済があり、2階建てと言われています。これらは、加入している人が費用を負担しています。社会扶助は、代表的なものは生活保護ですが、他にも生活保護のように利用の際に経済的部分の厳密なチェックをしない手当のようなものも入ります。これらは、税金を財源にしています。公衆衛生は、予防対策や環境衛生など私たちの健康や生活に関わる部分を担っています。
もし、社会保障制度がないなら、病気になって病院に行くときには医療費の負担が高く、ケガで働けなくなっても障害年金も出ず、高齢になっても年金が出ないので、貯蓄を切り崩すか働き続けなければなりません。働けなくなったからと言っても、生活保護制度もないとなると、生きていくのには絶望的な状況にもなるでしょう。
今の日本に住む私たちにとって、社会保障制度はあって当たり前、空気のような存在かもしれません。しかし、それがあるからこそ、「何かあったときに、なんとかなる」と思えているのです。私の座右の銘は「たいていのことは、何とかなる。生きていればそれでいい。」なのですが、そういう座右の銘を持てるのは、社会保障の制度があるからだと思っています。なんとかなる、だから、頑張ってチャレンジしてみるのも、究極に考えていくと、社会保障制度があり、何かあってもなんとか暮らせるぐらいには守られているから、だと思います。
社会保障制度の各種は、憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」を具体化するためのものでもあり、それぞれが法律をもとに制度化されています。私たちの生活は、安心安全があって当たり前なのではなく、社会保障の制度が、振り返れば長い歴史の中の人々の努力や叫びの結晶であるように、安心安全は私たちが作り上げて守っていくものなのだと思います。