バブル経済は崩壊したが、葱の周年栽培は順調だった。作付けにも慣れ固定客がつくと経営的にも安定し農業離れが進む中、農業でやって行けると自信も付いた。良い物を続けて出荷することが出来れば具体的な営業努力をしなくても品物は売れる。販売の事を考えずに作付けに専念できるのが、競りで値の付く市場出荷のメリットだ。5年が経った頃、ダンスサークルで出会った娘と結婚した。父から経営全般を任された。祖父が亡くなった。父との仕事上の対立をした時、祖父が話を聞いてくれた。必然的有機農業を営んできた祖父は、苦労話も多かったが、自然の摂理に従った農業と云う点では、私の考えに理解を示してくれていた。下肥で野菜を育てていた時代に父が、お金を出して化学肥料を買う事を快く思っていなかったらしい。2年後長女が、生まれた。その頃、大学院生だった弟が、心の病を抱え実家に帰ってきた。おとなしく、学業優秀だった弟は、自暴自棄になっていた。精神力が弱いからだと受け入れようとしなかった父も体調を崩す事が多くなった。順調に思えた家族経営も今まで通りには行かない。一人で畑に出る事が多くなり、何か良い方法は無いものか考え続けていた。家の中は暗くなりがちだったが、長女の存在が花を運ぶ春風の様に家族を和ませてくれた。そんな時、「減農薬でいいから野菜を作ってくれないか」と依頼をしてくれる業者が現れた。願っても無い話である。ほうれん草を減農薬で新たに作付けし九条葱を一部農薬の使用を減らして出荷する事にした。長いトンネルに入った様だが、明かりは、灯り続けていた。
京滋有機農業研究会 会長の田中真弥さんが無減農薬野菜などの宅配サービスの会員向けに連載しているコラム「こころ野便り」を当サイトにも掲載させて頂いています。前回はこちら。