「阿呆な事を言うな。農薬使わんと野菜が出来るわけないやろ!」と言う父の怒鳴り声のもう一つの意味が分かった。無農薬で野菜が出来たとしても経営として成り立つのかという事だ。手間とコストを掛けた野菜がただ美味しくて安全なだけでは、趣味の園芸で終わってしまう。尚且つ商品として販売し利益が上がらなければ再生産出来ないし生活も成り立たない。市場では、競りで値が決まる。農家は、自分で自分の野菜に値段を付けたことが無かった。そんな中、儲かる農業を営むには、目利きである仲買人の目に留まる野菜作りが必要となる。所謂一流の仲買人は、所謂一流の客を持っている。その流れに乗った野菜作りをすればそれなりの儲かる農業が営めた。生半可に理想の農業像を描いてもそのルートに乗る事は出来ない。父の言う通り、それが現実だった。それならば、先ず、そこで一番に成ってやる。堆肥や有機肥料を使い土作りをした上で安定的に綺麗な野菜を育てる。その為に化学肥料も農薬も使う。土作りをしておく事は、いずれ役に立つ。それまでチャンスを待つつもりでいた。作物も九条葱一本の周年栽培に特化した。いろいろ手掛けるより田中農園の葱なら間違いないと言われるようになる事が、得策だと考えた。初心を忘れたわけではないが、何よりあれこれ考え手を尽し、ライバル農家と競り合うのが楽しかった。
京滋有機農業研究会 会長の田中真弥さんが無減農薬野菜などの宅配サービスの会員向けに連載しているコラム「こころ野便り」を当サイトにも掲載させて頂いています。前回はこちら。