私はバナナが好きです。一番好きな果物はスイカで、二番目はイチジクですが、バナナも好きです。何番目かは数えられませんが。
ネットの誰かのコラムか、ツイッターの誰かの投稿か、何で見たのか忘れましたが、最近衝撃を受けた話があります。それは、「赤ちゃんに初めてバナナをあげるときは、気を付けるように!」という話なのですが、なぜだと思いますか?私は当初、アレルギーの恐れかと思っていたのですが、その続きの文章には、意外なことが書いてありました。それは「赤ちゃんが、バナナに夢中になり、他の物を食べなくなるかもしれないから」ということです。なるほど!と思うとともに、スマホやゲームのことが頭に浮かびました。
子ども分野のソーシャルワークに関わっていると、しばしば話題になるのは、ネット依存ゲーム依存の問題です。いつの間にか昼夜逆転し、ゲームが生活の最優先かつ最も時間を費やすものとなり、それを取り上げるためにネット環境を遮断したりゲーム機を取り上げたりすると暴れる、という話です。
学校で問題になる背景にも、ネット依存ゲーム依存の例はよくありますが、学校の職員の働きかけだけでどうにかなるわけではなく、家庭での働きかけが必要なのは明らかです。しかし、上記のように、力づくで…となると、やはり力いっぱい抵抗が起こることになり、良い結果には向かいにくいものです。
すでに進んでしまった状況は、医療、家庭、学校、さまざまな専門家や資源で、根気よく支援に取り組む必要があると思います。しかし、そうなる前にどう考えるべきかを、もっと知ってもらう必要があるのではないかと思います。小学一年生の多くは、ゲーム機やスマホに触れているので、もっと以前に保護者への情報提供や考える機会の提供が大切だと思います。
一度知ってしまうと、それをなかったことにすることは難しいことがあります。
その中にはまり込んでしまうと、大人であっても、強い意志があっても、抜けだすことが難しいものは、世の中にたくさんあります。合法的なことも、そうでないものも。当然、ゲームも、ネットも、それをうまく使えば生活や余暇が充実するものです。それは、自分自身がゲームやネットの利用をコントロールし、自分の欲望に打ち克つことができる場合だと思います。依存に近い状態になると、そうはいきません。それを、周囲の大人がよく理解し、子どもにスマホやゲーム機を与える際に、しっかりと枠を作って、その枠の中で遊ぶことを事前に確認し、都度都度それを振り返ることも必要かとおもいます。
もしもネットやゲームとの出会いが、しっかりとした枠の中で行われ、それを生活の中の彩りとして持てるのなら、それは一生楽しめる素敵な趣味活動になるかもしれません。ゲームとの良い出会いは、「また後で」や「今日はここまで」という自制の練習にもなるものでしょう。そのために、幼いうちは保護者がルールを、もう少し大きくなったら一緒に考えてルールを作って、その中で喜怒哀楽のいろんな感情を経験しながら、子どもたちが大人になれると良いのではないかと思います。
ネットは便利で生活には必要不可欠ですし、ゲームは実際にはできないようなことも体験できる楽しいものです。付き合い方次第ですが、それは出会い方次第ということも言えるのではないでしょうか。