富山に入った。親不知子不知と言う昔の旅の難所がある。立山連峰が日本海に落ち込むところだ。崖を削り張り付くように造られた国道は、落石防止の為コンクリートの屋根が付けられている。急カーブの連続する道は、大型車がセンターラインを越えて車体をうねらせる。歩道はない。怖いがそこしか道がない。親不知子不知のパーキングエリアから海岸に降りることが出来た。昔の道を通ることが出来るかもしれないと海岸まで降りてみた。波は、崖まで打ち寄せている。引き潮の時にかろうじて通れる様だったが、国道の方がまだましに思えたのでまた戻った。未だに交通の難所だなと思ったが、建設中の海上に突き出た北陸自動車道の大掛かりな工事現場を真横に見て歩いた。
富山・石川・福井・滋賀は、何れの県も駐屯地での宿泊予定になっていた。ルート上にある自衛官の自宅での宿泊を申し出て下さった方もあり「鯖街道を通りたい」と言い出せなくなってしまった。所属していた部隊の中隊長からも連絡があり、各駐屯地で迎える準備をしているから必ず寄って欲しいと言われてしまい、この旅を締め括る一大イベントは、またの機会に譲ることにした。
富山では、見たことのある運送会社の大型トラックの運転手が、「これから京都まで荷物を運ぶが乗って行かないか」と声を掛けてくれた。これに乗せて貰えば今日中に京都につくなと思いながら、丁重にお断りしてまた歩き始めた。鯖街道へのチャレンジは、34年経った今もまだ実現していない。農業経営や子育てに一所懸命で長いこと忘れてしまっていたが、ある時ふと思い出した。それからあの旅が、まだ途中の様な気がしている。期が熟せば次の世代にバトンを渡す時の区切りとしてチャレンジしたい。
京滋有機農業研究会 会長の田中真弥さんが無減農薬野菜などの宅配サービスの会員向けに連載しているコラム「こころ野便り」を当サイトにも掲載させて頂いています。前回はこちら。