曽祖父の時代の必然的有機農業の苦労を知る父は、化学肥料や農薬を使った現代農業の先駆者でもある。若かった父は、妻の手を土で汚したくないと思っていただろう。日曜日には、子供を連れて遊びに行きたいと思っていただろう。母の手が、綺麗になることは無かったが、私達兄弟は、良く遊びに連れて行ってもらった。今になって思えばそれは、父の理想であり農薬や化学肥料のお陰だったのかもしれない。農業の本当の苦労を知らない私は、「お父さんの肥料や農薬の使い方は、対症療法的で原因を考えていない」と言った。父は、「俺を見縊っているのかっ!」と激怒した。何か釈然としないままお盆の休暇を終え北海道に戻ったが、この秋に自衛隊を退職することを心に決めた。中隊長に家業を継ぎたいので除隊したい旨を伝えたが、考え直すように言われた。そこで自分の計画を話した。「京都まで歩いて帰ろうと思っています。出来れば雪が降る前に」と。中隊長は、「もう少し詳しい計画を出せ、駐屯地指令に掛けやってやる」と言ってくれた。数日後中隊長に連れられ駐屯地司令の前で農業に対する思いと徒歩での帰郷の計画を話した。1任期の間に3つの教育を受けさせた隊員が、任期途中での除隊を希望している。あまり好ましい話ではないが、許可が出た。しかも道中近くの駐屯地に宿泊させてもらえる手配までして下さった。失敗は、出来ない。
京滋有機農業研究会 会長の田中真弥さんが無減農薬野菜などの宅配サービスの会員向けに連載しているコラム「こころ野便り」を当サイトにも掲載させて頂いています。前回はこちら。