本で読んだ知識を色々と父に披露した。しかし、「お前は騙されている。変な宗教に入ったのではないか。」と全く聞き入れてはもらえなかった。祖父の代は、必然的に有機農業で機械も無い時代だ。鍬と鋤と鎌ですべての農作業がこなされる。父からいろいろな苦労話を聞いた。父が子供の頃、父の御爺さんに連れられて師走のくわい田にくわいの収獲に行った時のこと。薄氷の張るくわい田で収穫するおじいさんの手はもちろん素手、小雪が舞い始め「おじいちゃん一服しよか~」と声を掛けた。おじいさんは、「お~」と言ったきり手を休めることは無かった。おじいさんの背中には、薄らと雪が積もっていた。すると近くのあぜ道を腰縄に繋がれた囚人たちが、近くの拘置所に連行されて行った。「あれよりましやな。」という声が父に聞こえた。母からも様々聞かされた。嫁ぐ前までは、戦後の食糧不足で作物は引く手あまただった。洋食ブームがあり、父の実家もキャベツが、飛ぶように売れたらしい。「あんた。嫁いだら楽させてもらえるで。」と周囲から言われていたそうだ。しかし、しばらくすると地方に大産が地形成され、価格は暴落する。「嫁いだ嫁の仕事は、草引きばっかり。あんたが生まれて、お父さんが除草剤を使ってくれはった時は、あんたと関われる時間が出来きてものすごく嬉しかった。」と言っていた。時代は、高度成長。期農薬や化学肥料を使った農業が、主流となり。農作物の輸入は拡大し続け国内の農業に効率化が求められる時代となる。そんな話を聞くうち自分の甘さが、恥ずかしくなる。でも夢は、諦めたくない。いや夢と言うより自己肯定出来るかどうかの瀬戸際だったような気がする。何か方法は、無いものか。
京滋有機農業研究会 会長の田中真弥さんが無減農薬野菜などの宅配サービスの会員向けに連載しているコラム「こころ野便り」を当サイトにも掲載させて頂いています。前回はこちら。