ある方から、「カナリア俳壇」ももう50回になりますね、と教えていただき、ちょっと驚きました。もうそんなに回数を重ねたのですね。わたしにとっても毎回が勉強です。継続こそが力です。お互いこれからも作句に励みたいものですね!
○表札に小さき源氏名長簾 ひろ
【評】上五中七はよいと思います。しかし「表札」と「長暖簾」では場所的に近くて(玄関付近)、一句に広がりがありません。もっと季語で伸びやかに冒険してほしいと思います。
○姫女苑遊女の墓の仄明し ひろ
【評】吟行句としては及第点です。しかし漢字が多すぎ、見た目が暗いので、もっと平仮名を増やすなど表現の工夫がほしいところです。
△蜂一尾ほたるぶくろにもぐりたり 蓉子
【評】蜂は一匹、二匹と数えるのでは?あるいは「蜂一つ」。中七下五が平仮名ばかりで少々間が抜けた感じがします。「蜂一つ蛍袋にもぐりけり」。
△早朝にほととぎす鳴くくり返し 蓉子
【評】句の仕立て方が散文的で、ただの報告にとどまっています。「繰り返し啼く時鳥朝まだき」など、一句の中にうねりを作るともっと力が籠ります。
△巣立ち鳥低く飛去る雨の朝 美春
【評】「巣立ち」と「飛去る」が重複していますので、なんとか「飛去る」をカットしたいところです。また、どんな鳥か名前もほしい気がします。
△青蜥蜴小さき日向に身動ろがぬ 美春
【評】「小さき日向」がどうも不器用な感じです。その場所をもう少し具体的に描いてほしいと思います。下五は「身動がず」としましょう。
△そらいろの麻の卓布へ衣更 あみか
【評】おそらく「卓布へ」で切れが入るのだと思いますが、一瞬、卓布に着替えたかのように受け取れてしまいます。「卓布」も「更衣」(俳句では「衣更」でなく「更衣」と書きます)も同一系統の語(繊維関係)ですから、下五はもっと別の言葉をもってきて、ダイナミックに展開してほしいと思います。
△自画像のエゴンシーレの頬涼し あみか
【評】画家の名前を入れた句は難しいですね。この句がエゴンシーレの自画像を越える力をもっているかどうか。現物の絵にかなわないなら、句にする必要はないわけです。「頬涼し」だけでは弱い気がします。
○父と子の竜馬語りて初鰹 多喜
【評】竜馬のことを語り合いながら初鰹をつついているのでしょうね。句に切れがあると、もっと力の籠った句になります。たとえば「父と子の竜馬談義や初鰹」など。
△青蔦や数独詰めの行き詰まり 多喜
【評】まず、季語が効いていないと思います。また「数独詰め」(言わんとすることはわかりますが)という言い方はあまり聞きません。「詰め数独」という用例はあるようですが。「数独パズル行き詰まり」でいいのでは?再考してみて下さい。
○女学生一つ日傘に友入れて 音羽
【評】とりあえずきれいに出来ています。女子高生は日傘をさしませんので、これは女子大生ですね。とすると、私服のはずですが、なぜ学生だと解ったのでしょう。もう少し具体的な何かがほしい気がします。
◎軒ふかく喜寿の水着を干しにけり 音羽
【評】「喜寿の水着」がおもしろい。上五の写生も具体的でたいへん結構です。
△~○遠き日の恋のさやあて虎が雨 妙好
【評】虎御前の故事をふまえた句だと思うのですが、今一つ漠然としていて、和歌的な味わいはあるのですが、俳句ならではの即物性に欠けます。「遠き日の」をカットして作り直してみるといいかもしれません。
△~○女生徒の肘の羞ひ更衣 妙好
【評】何となく言いたいことはわかるのですが、「肘の羞ひ」はややムードに酔ってしまっている感じ。「肘」と「更衣」も近すぎてダイナミズムに欠けます。もっと意外な季語をもってくると面白いかもしれません。
△梅雨晴に花壇植ゑ替ふポーチュラカ 織美
【評】言葉が多すぎてごちゃごちゃしてしまいました。「花壇植ゑ替ふ」はカットし、もっと単純さを目指しましょう。俳句は寡黙をよしとする文芸です。あとは読み手の想像力に委ねればよいのです。
○8の字に紐で括れり茄子の枝 織美
【評】これは眼(視覚)で鑑賞する俳句ですね。もし耳で聞いたら、句意は通じないでしょう。俳句は調べを楽しむ文芸でもあるので、もし文字遊びをするなら、算用数字ではなく、漢字や仮名で行いたいところです(「大の字」や「川の字」など)。
○物憂げにパフを叩くや梅雨じめり 智代
【評】なかなか雰囲気のある句です。これは自画像だと思いますが、自分自身に対しては「物憂げ」とは言わないはず。自分のことなら「物憂い」でしょうか。「眉根寄せパフを叩くや梅雨湿り」くらいでどうでしょう。
△~○輪と成りぬ番とうしみ空の色 智代
【評】「輪と成りぬ」ですと終止形で切れてしまいますので、「輪と成れる」としましょう。あるいは語順を変えて「空色の番とうしみ輪と成りぬ」でもいいですね。
△~○赤帽の地蔵微笑む山若葉 ゆき
【評】いきなり「赤帽」と言われると運送業者のようで、ちょっと違和感があります。「山若葉地蔵に被す赤帽子」など、もう少し推敲してみて下さい。
△肩に止む目と目が合ひて鬼やんま ゆき
【評】上五中七の調べがよくありません。また、鬼やんまはとても大きいので、滅多に人の肩に止まらないと思います。「腕に来し蜻蛉と目と目合ひにけり」など、ご再考下さい。
△庭先のにはかに暗くなる麦茶 徒歩
【評】「麦茶」との取り合わせは面白いのですが、まず「庭先」が漠然としていますし、なぜにわかに暗くなったのかも不明です。日がかげったのであれば、そう述べた方が素直だと感じます。
◎ひとつづつ付箋を外す梅雨の夜 徒歩
【評】これは面白い句ですね。原稿など書き上げたあと、わたしも資料に貼り付けた付箋を一枚ずつ剥がしていきます。季語も不思議な味わいがあります。
○水撥ねて車過ぎ行く梅雨の街 万亀子
【評】よくある光景ですので、意外性はありませんが、とりあえずきちんと出来た写生句です。可も無く不可も無しといったところでしょうか。
○白薔薇の名は外つ国の王妃なる 万亀子
【評】大体誰でも知っていることですので、あまり意外性はありませんね。むしろ王妃の名前をはっきり示した方がいいかもしれません。
△~○親のこと語るおとうと螢の夜 マユミ
【評】わたしの体験上、兄弟(わたしの場合は兄妹)で話すこといえば、親のことくらいしかありません。ですから、この上五は当たり前のことに思えます。句自体はきちんと出来ています。
△ただ唸る事務所の壁の扇風機 マユミ
【評】今時エアコンのないことに驚きを感じますが、扇風機自体はただ唸るだけの物ですので、写生としては物足りない気がします。
△茅花流し見渡す陶土採掘場 利佳子
【評】この景のなかで季語が果たして効いているのかどうか。写生としても漠としていて、ただ言葉を連ねただけとの印象を受けました。
△門口の蜘蛛が恐いと母呼ぶ子 利佳子
【評】ただの報告で、作者自身、何に感動しているのかわかりませんでした。言葉も詰め込みすぎで、余情がありません。
△亀の子が足音聞きて川に去る ゆう
【評】これは韻文というより、短い文章ですね。「川に去る」も漠然としています。実際、どんなふうに川へ去ったのか、細かく描写すると俳句らしくなるかもしれません。
△我食す水羊羹や甘さやさし ゆう
【評】まず「我」は自明ですので不要です。また「甘さ」を感じたということは口に入れたわけですから、「食す」も自明で、不要です。下五の「甘さやさし」は字余りです。
△ホトトギス一声鳴きて夜空裂く 白き花
【評】「夜空裂く」は言い過ぎでしょう。また、図鑑ではありませんので、「ホトトギス」とカタカナで書くのはやめましょう。初心のうちは、季語の表記をその都度歳時記で確認する習慣を身に付けてほしいと思います。
△元野犬青野分け入る猛ダッシュ 白き花
【評】いわゆる三段切れです。「元野犬」は前書に書いておけばいいと思います。とにかく言葉を詰め込みすぎていて、余韻がありません。「猛ダッシュ」という言葉も俳句には馴染みません。白き花さんはもっとたくさんほかの人の俳句を読み、その作り方を真似ることが必要だと感じます。基礎のない独創性は、独善に陥りがちです。
△~○山映し礼儀正しき植田かな 永河
【評】蛇笏の「芋の露連山影を正しうす」と通い合う感興の句とお見受けしました。「礼儀正しき」という擬人法がどうかですね。わたしには言い過ぎに思えました。作者がそこまで言うと、読み手の気持ちは逆に引いてしまうものです。「礼儀正しき」と言いたいところをぐっとこらえ、その手前の表現でとどめられたら名句になりそうです。
△~○柿若葉目尻が風に溶けてゆく 永河
【評】ポエムやポップスの歌詞ならば面白いかもしれませんが、俳句では「目尻が風に溶けてゆく」のは過剰表現で、どうしても独善的になってしまいます。俳句は言いたいことの二、三割程度に抑えてちょうどいい感じになる文芸ではないかと思います。
○待ち合はす母の使ひし日傘さし 千代子
【評】誰と待ち合わせたか分かると、さらに味わい深くなりそうです。もしお母様がご存命でないのなら、「母の遺愛の日傘さし」でもいいかもしれません。
△~○子燕よ軒下の巣へ来年も 千代子
【評】来年もまた来ておくれと呼びかけているのですね。来年のことを言うなら、秋燕に呼びかけるほうが自然かもしれません。
次回は7月6日(火)の掲載となります。前日(5日)の午後6時までにご投句いただければ幸いです。力作をお待ちしています。河原地英武
「カナリア俳壇」への投句をお待ちしています。
アドレスは efude1005@yahoo.co.jp 投句の仕方についてはこちらをご参照ください。