本来なら心浮き立つ季節ですが、先行きの見通せないコロナ禍のせいで、なかなか晴れ晴れとした気持ちになれません。皆さんの句からパワーをいただいております。では早速ご投句順にみてゆきたいと思います。
○夜半から雨音厳し春嵐 蓉子
【評】強風から大雨になるのも、この時期の不安定な気象らしいですね。「厳し」よりも「激し」のほうが素直な表現かと思います。
△春泥や靴に付ききて足よろけ 蓉子
【評】そこはかとなくユーモラスな句です。下五はしっかり終止形で収めましょう。「春泥に靴吸ひ付かれよろけたり」としてみました。
◎うららかや阿弥陀如来は前屈み ひろ
【評】思わず笑みがこぼれる愉快な句です。もしかすると阿弥陀如来像も気持ちがよくてうつらうつらしているのでしょうか。
○~◎潮の香も量られてゐる若布かな ひろ
【評】採れたての若布を量り売りしている場面ですね。潮の香りまで量られているという把握が詩的です。よほど濃厚な香を放っていたのでしょう。
○川の淵冥界誘ふ雪柳 美春
【評】どきりとさせる句ですね。きっと川の淵を凝視しているうちに、引きずり込まれそうな気分になったのでしょう。「冥界〈へ〉誘ふ」と助詞を入れたいところです。「冥界へ誘ふ淵河雪やなぎ」としてみました。
△~○初音まね食む指笛の掠れたり 美春
【評】指で舌先を押す感じを「食む」と表現したのだと思いますが、「食む」は「食べる」という意味合いが強いので、無理を感じます。そのように言わずとも、「指笛」といえば指の位置などちゃんと伝わります。「初音まね鳴らす指笛掠れけり」でどうでしょう。
○地下鉄の遅延放送はなづかれ 音羽
【評】漢字の連続を避けるため、季語を平仮名表記にしたのですね。このような考慮は大切ですが、「はなづかれ」はちょっと読みづらい気がします。やはり「花疲れ」としたいところです。とりあえず「地下鉄の遅延表示や花疲れ」としておきます。
◎通学路復習ふ少女や春休 音羽
【評】これはけっこうですね。入学を楽しみにしている少女の初々しさが伝わってきます。
△~○仕切りたる茶房の卓に諸喝采 小陽
【評】「仕切りたる」はコロナ感染防止用のアクリル板が置かれていることを指しているのでしょうね。時期的にそれは想像がつくのですが、句だけではそれが見えてきません。いっそ上五はとってしまい、別の表現を探してみてはいかがでしょう。たとえば「行きつけの茶房の卓に諸喝采」など。
◎寝ながらのヨガの瞑想花の昼 小陽
【評】この時期は何をしていても眠くなりますね。うたた寝をヨガの瞑想と自分に言い聞かせているところが何ともユーモラスです。
○つま菊で卍描かる花御堂 マユミ
【評】辞書によれば、花御堂とは「4月8日の灌仏会のとき、釈迦の誕生の立像を安置し、種々の花で屋根を葺き飾った小さな堂」とのことで、これが季語ですね。そのどこに卍が描かれているのか、この方面にうとくてよくわかりませんが、とりあえず切れを入れ、「つま菊で描く卍や花御堂」でどうでしょう。
△鳥獣戯画の湯呑拝せり彼岸寺 マユミ
【評】上五の字余りのせいで、調べがよくありません。「拝せり」は省略し、「湯呑には鳥獣戯画や彼岸寺」としてみました。
○~◎弁柄の紅濃し町屋初つばめ 織美
【評】美しい句です。一字だけ直します。「弁柄の紅濃き町屋初つばめ」。これで文句無しでしょう。
△~○家中を駆け回る児等春休み 織美
【評】退屈をもてあました子供達の様子が想像されますが、今一つ漠然として、なぜ駆け回っているのかわかりません。たとえば兄弟げんかならば、「泣きながら兄追ふ少女春休み」と作ることもできますね。もう一工夫してみてください。
◎天ぷらに摘めり小ぶりの葱坊主 多喜
【評】葱坊主も天ぷらにして食べることができるのですね。すなおに作られた生活感のある句です。
△~○花冷や餃子の無人販売店 多喜
【評】餃子の自動販売機ではなく、いちおう店舗なのですね。句材としてはユニークなのですが、どんな無人販売店か今一つイメージできませんでした。
◎花朧シク活用を口遊み 妙好
【評】古典文法をさらいながら帰宅する学生をイメージしました。「花朧」という季語の力でしょう、ほんのりと紅い微光に包まれた幻想的な光景が思い浮かびます。
△~○道行の舞台あやなす花ふぶき 妙好
【評】歌舞伎の舞台でしょうか。絢爛豪華な美的世界を描いていますが、ちょっと作り物めいているといいますか、別に妙好さんでなくても作れそうな没個性的な作品との感を受けました。
○チューリップ花弁ひらりとミミレレド 白き花
【評】白き花さんが楽しんで俳句を作っていることが窺われ、わたしの心も明るくなりました。このような遊び心のある作品もいいものですね。調べもGOOD!
○御酒一献山菜揚げに心急く 白き花
【評】これも心弾む句ですね。山菜揚げも旨そうです。「心急く」までは言わずに、たとえば「御酒一献山菜揚げを山盛りに」くらいでいかがでしょう。
○~◎自由とはかくも軽きか黄沙降る 万亀子
【評】季語から推して、中国の政情を憂えての作ですね。わたしも同じ思いを抱いていますので万亀子さんの句には大いに共感します。これをさらに露骨に詠めば「自由より重き愛国黄砂降る」あるいは「鵞毛より軽き自由よ黄沙降る」とでもなるでしょうか。
△~○のつと出る校舎の上に春満月 万亀子
【評】芭蕉の「梅が香にのつと日の出る山路哉」に触発して作られた句かもしれませんね。このままですと「のつと出る校舎」となって、校舎が「のつと出る」みたいに読めてしまうので、すこし語順を変えないといけません。「校舎よりのつと出でたり春満月」でどうでしょう。調べを優先するなら「校舎よりのつと出でたり春の月」でしょうか。
△~○揚雲雀空へ向かつて行つたきり 永河
【評】「揚雲雀」とは空に舞い上がった雲雀のことですので、「空に向かつて」が重複します。上五をたとえば「告天子」とか「夕雲雀」とすればけっこうでしょう。ちょっと虚無的な淋しさが伝わってきました。
○三月の空へ祈るや鳶舞ひて 永河
【評】東日本大震災を念頭に置いての作でしょうね。中七に切れが入っていますので、祈っているのが作者自身であることは明白ですが、鳶もまた何かの使者のように舞いながら祈りに加わっているようにも読め、敬虔な気持ちになりました。本来なら二重丸を付けたいところですが、震災と鳶をテーマとした高野ムツオの「寒の鳶廻れ円光生れるまで」の印象が強いため、丸一つにさせていただきました。
△~○古稀過ぎの訃報届けり松の花 徒歩
【評】訃報が届く句はいわば俳句の定番で、毎月何句も見ますが、正直なところ気が重くなります。訃報を扱いながら読み手の心をどうときめかせるか。俳人にとっての腕の見せ所です。この句はまだその域に達していないように思われます。発想を転換させ、「訃報」の二文字を禁じ手にしてみると新境地が開けるかもしれません。
△~○春夕焼通ひの店の鍵しめて 徒歩
【評】「通いの店」とは、自宅とは別個に自分が持っている店舗のことですね。ただ、よく通う店、なじみの店ともとれますので、そこが分かりづらいかもしれません。また、何屋さんなのだろうと読者は気になります。全体として雰囲気はある句ですが・・・。
△~○ラップの端回して探す日永かな あみか
【評】サランラップに材を取った句はほとんどありません。その点では新鮮です。ただし、回しながらラップの端を探すのはいわゆる「あるある」で、日常感覚の範囲内。季語「日永」をもってしても今一つ気持ちが浮揚しませんでした。
△~○クリムトの黄金つややか春闌くる あみか
【評】クリムトの絵はたしかに春が闌けた頃を思わせますね。黄金といえば「つややか」は言わずもがなでは?また、画家の名前を出すときは、その画家の絵に負けない独自の境地を打ち出さないとあまり意味がありません。この作はまだクリムトの絵の説明にとどまっているように思われます。
○~◎行く春や家に籠りて作陶す 春美
【評】地に足のついた句といいますが、作者の生業に対する矜恃が感じられ心引かれました。「籠りて」とありますので、「家」は省略できそうです。「行く春やひねもす籠り作陶す」でいかがでしょう。
△花びらを散らしをさなのダンスかな 春美
【評】楽しい句ではありますが、状況が今一つわかりませんでした。桜の花をゆさぶりながら踊っているのでしょうか。
次回は5月4日(火)の掲載となります。連休のさなかではありますが、3日(月)の午後6時までにご投句いただけると幸いです。河原地英武
「カナリア俳壇」への投句をお待ちしています。
アドレスは efude1005@yahoo.co.jp 投句の仕方についてはこちらをご参照ください。