ロシアでは、新型コロナの感染者数がすさまじいことになっていますね。
はい、すでに25万人を越え、アメリカに次ぐ世界第2位の数になりました。ところが不思議なことに、死者数は極端に少ないのです。他の欧米諸国では万単位で人が亡くなっているのに、ロシアは一桁少なく、2300名余りの死者しか出ていないのです。
どういうことですか?
ロシアは死者数を過少報告しているのではないかと欧米のメディアは疑っています。むろんロシア政府はこれを否定していますが。
死者数の多さは国民のプーチン政権に対する批判に直結しますから、何らかの隠ぺいが行われている可能性は否定できません。ロシアのマスメディアは事実上、国家に管理されていますので、そうすることはできます。このへんが中国と同様、ロシアの国家体質の不透明なところです。ただ、どちらにしても、この急速な感染拡大はプーチン政権にとって大変な計算違いだったことは確かです。
計算違いといいますと?
今年は第二次世界大戦終結75周年という節目の年です。プーチン大統領としては「戦勝75周年」としてこれを盛大に祝い、国威を発揚し、政権への支持率アップにつなげようとの算段を立てていました。
ところで、ロシアには戦勝記念日が2つあります。1つはドイツに勝った日、もう1つは日本に勝った日です。後者については後に述べます。まずはドイツに勝った日、すなわち対独戦勝記念日ですが、これは5月9日です。本来ならばこの日、諸外国から来賓を招き、モスクワで大規模な軍事パレードを行い、ロシアの国力を内外に誇示する予定でした。しかし新型コロナ禍でこれらは取りやめとなり、戦闘機が編隊飛行を実演したほかは、プーチンの演説等をテレビで流すだけのまことに寂しい記念行事となりました。
これでは国民の気持ちも高まりませんね。
そうですね。ロシア議会では今、憲法改正の作業が進められていますが、その目玉となるのは、プーチン氏が次期大統領選挙(2024年に予定されています)でも立候補できるようにする条項です。この憲法改正案は国民投票によって承認される見込みですが、戦勝75周年の祝賀ムードの中で投票を行うつもりだったのに、あてが外れてしまいました。ただし戦勝75周年の盛大な軍事パレードに関して言えば、新型コロナの感染が収束すれば、9月あたりに行われるかもしれません。
もう少し詳しく説明してもらえますか?
つまり、対日戦勝記念日にそのパレードをもってくる可能性があります。実は4月23日、われわれにとって無関心ではいられない法案にプーチン大統領が署名したのです。
ソ連時代には9月3日が「対日戦記念日」として祝われていました。しかし、ロシアになってこの記念日はなくなり、日本が無条件降伏した9月2日を「第二次世界大戦終結の日」としていたのです。ところがプーチン大統領は、ソ連時代の記念日を復活させたわけです。ちなみに中国も9月3日を「抗日戦争勝利記念日」と定めていますので、これで中露の足並みがそろい、両国共同で9月3日に対日戦勝利の記念式典を開催する可能性も出てきました。
何か日本に対する敵対心を感じるのですが……。
むろんロシア政府はそのような意図はないと説明しています。あくまでも歴史的な記念日を尊重する意味合いだとのことです。しかし日本政府はそれを額面通りに受け止めてはいません。報道によれば、日本政府は外交ルートを通じ、9月3日に式典を行う場合、安倍首相は招待されても出席しないと通告したそうです。ロシアが日本に対する勝利をあからさまに祝う式典に参加すれば、北方領土がロシアの「戦利品」だと認めることになると懸念されるためです。いずれにしても、ロシアは対日戦勝利という歴史的事実を盾に、領土問題に対してますます厳しい姿勢を示すことになりそうです。
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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。