かわらじ先生の国際講座~行き場を失ったシリア難民

シリア情勢をめぐってトルコとロシアが駆け引きをしているようですね。
はい。長年続いたシリア内戦も最終局面に向かいつつあります。ロシアの支援を背景として、アサド政権がほぼ全土を制圧しようとしているのです。トルコの軍事支援を受けながら反政府勢力が立てこもっている砦は、シリア北西部のイドリブ県のみとなりました。そのイドリブ県に対しアサド政権は、今年初頭から軍事攻勢を強め、2月末には反政府軍のみならずトルコ軍兵士34名も殺害しました。
当然トルコは反発したでしょうね。
たしかに2月末から3月初頭には、シリア政府軍とトルコ軍による戦争の開始が危ぶまれたのです。しかし結局、トルコ側が譲歩しました。シリアとトルコの仲裁役をロシアが買って出て、3月5日にモスクワでプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領の首脳会談が行われた結果、シリアとトルコの和平が実現したのです。トルコ側はシリア政府軍が反政府軍から奪った領土の保有を認めたため、トルコのシリアにおける影響力は大いに減じました。逆にロシアのシリアにおける威信は一段と高まったといえるでしょう。
なぜトルコは譲歩したのですか?
難民問題があるからです。現在トルコには、シリアの内戦を逃れてきた難民が358万人暮らしています。そして今回イドリブ県が戦場となったため、そこから新たに100万人近い人々が脱出し、トルコ国境へ向かい出しました。しかしトルコにはこれ以上の難民を受け入れる余裕はありません。とすれば、反政府軍に加勢してシリアで紛争を起こすことはできないわけです。つまり和平を受け入れるほかありませんでした。
ということは、トルコはシリアから完全に手を引くのでしょうか?
ところがトルコはまだシリアに影響力を残しておきたいのです。そこでEU諸国を引き込む策に転じました。
どういうことでしょう?
2月末にトルコは、国内のシリア難民を欧州へ移動させるべく、ギリシアとの国境を開放したのです。2015年から16年にかけて、百数十万の難民が欧州に押し寄せたことはまだ記憶に新しいでしょう。それが今、再現されようとしているわけです。トルコとしてはEU諸国が力を貸さないなら、このままトルコにいるシリア難民をどんどんヨーロッパに押しつけるぞと脅す策に出たのです。
ヨーロッパとしては大変なことになりますね。
そうです。それは絶対に受け入れられません。難民の欧州への流入を防ぐ防波堤はギリシアです。そこでギリシアは、陸海の警備を徹底させ、一人たりとも難民を入れまいと軍隊を配備させました。その結果、トルコの国境を出てきた難民たちは現在、悲惨な状況に置かれてします。トルコを出たものの、ギリシアの国境線に張り巡らされた鉄条網に行く手を阻まれ、トルコとギリシアの間の国境地帯において、凍えるような寒さのなかで野宿を余儀なくされています。住む場所も、着る物も、食べる物も失った人々が、国際支援団体のわずかな補給物資にすがりつつ、何の展望も描けないままかろうじて生存しているのです。その数は日増しに増えていますが、彼らはいまや国際社会から見捨てられた民と化しています。
新型コロナウイルス禍で欧州諸国は自分たちの防衛だけで手一杯です。そしてその門戸は外部者に対しますます固く閉ざされることになりました。そのなかでこの難民たちを気にかける国はありません。もはやニュースにすらならないのです。われわれは彼らのことを忘れてはならないでしょう。

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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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