なんのために地方に移住したのか。演劇人の私は。    ――『秘密ひとつ。』につながるこころ

イラスト:秋山ののの

都会で劇作家が劇をやる、と旗をあげたら、拡大志向と上昇志向、娯楽志向がどんどんからまりついてくるのは避けがたい。芸術志向やら文学志向やら、を標榜したって、結局劇は「動員は何名か」「うねりは作ったのか」という表層の結果、あるいは目に見える影響力を性急に求められる。私は何年かたったら劇団内では「客は増えてもいいけど増やすのはだめだ」というようになっていた。たいして増えもしなかったから、ただの言い訳を威勢良くしているだけみたいになって、あんまり外部にいばっていうのも恥ずかしいセリフだったけれど。だから言わなかったけれど。だけどそう。後ろ向いて小さく、だけど充実した確かな存在感、そんなのがほしかっただけだ。
そしてその傾向を押し殺して進むうちに、周辺の環境は私の願望や志向とは無縁に変化していった。具体的な事情がかわってきた。劇団は、役者が仕事しなくなったのだ。仕事、というのは演劇作りの裏方仕事のことだ。舞台美術を作る、音響機器をセットする、照明を仕込む、荷を縛って二トントラックを運転する、というようなスキルを、役者が持たなくなった。お金を払って業者スタッフに外注するのが圧倒的に「ふつう」になったのだ。分業、というとなんだか合理的ですてきな民主化のように聞こえるけれど、要するに労を厭うようになったのだ。そしてそういうスキルを失った役者は、一個の演劇作品の「全体」を感じないようになった。裏方仕事してると、感じる。この階段は必要か?俺今しんどい思いしてたたいてるこの階段はこの作品にどうしても必要なんだろうか。この階段があるおかげで作品はよくなるのか。…そして演出家の意図を推測する。推測しないとやり切れないしんどさだからだ。そして意図をなんとか共有して仕事を乗り切る。自分の出番以外の芝居の様子も興味を持つ。あの階段はわりと効いてるな、とか。むだだったな、とか。そうやって「全体」を意識すると、演技の方向はまるで違ってくる、理解度が深まり、高まる。客は舞台全体を見るので、登場人物全員を目にするので、自分一人に注目するわけではない。だから自分一人の演技がこうあるとき、同時に周囲はこういうふうに成り立っていてほしい、とか。あるいは逆に共演のあいつがこう成り立つためには、自分はわきでしっかりとこの時間はただ突っ立って視線を送っていないといけない、とか。そんな控えめだが積極的なアシストがあってこそ初めてあの主役の緊張が強くなるのだ、とか。
しかし裏方仕事をしなくなった役者は、芝居が終わった後に回収するアンケートの読み方を変えた。「××役の〇〇さんがよかった」というものだけ探すようになった。自分の演技はどうだったか、が最重要事項になったのだ。そういう役者は、常に全セリフを全力でりきむようになる。サッカーに置き換えたら、全機会にシュートするようなものだ。小学校低学年の体育の時間、子供たちはボールに殺到する。そのサッカーではフォーメーションはないし、ポジショニングもない。チームプレイの知識も意識もない、ただ群がってボールを強くゴールに向かってぼかーん、ぼかーんと蹴るだけだ。
明らかに役者の力量がやせたのだ。大根役者、がデフォルトになった。昔だったら陰でバカにされた臭い役者が、標準の形になった。役者にチームプレイのフォーメーションを求めてももはや理解しようとする欲望に欠けているし、理解する力も欠けているから、理解しかみ砕いたうえで発揮する個性的な技、みたいなものは全く期待もできなくなった。フォーメーションを理解しないサッカープレイヤーにフォーメーションを実行させるには、細かい要求をしつこく、膨大な種類、膨大な詳細にわたって押し付け、強制するしかない。それがまあ言ってみれば、「静かな演劇」の平田オリザ氏が始めた台本につけたこまかい「★」やら「※」やらの記号の頻発だ。そこには強制と服従しか存在しない悲しい無言の荒野が広がっているだけだ。私は抵抗したかったから役者に対話を求めた。役者からの発言を求めた。役者からの発意を求めた。しかし。しかし。それは強制よりももっとつらいハラスメントに響くほかないのだった。そもそも役者たちはそういう討論や思考を面倒な不要な手間としか感じない。彼らは手っ取り速い出世を求める輩たちに置き換わっていたのだ。どうしたらいいか早く指示してほしい、ヒントなんかいらない、形を教えてほしい。それで自分がかっこよく成立し、そこにたくさんの客がいてくれて、それが東京公演であったりしたら誰かもっと大手の劇団の劇作家やプロデューサーの目に留まり、一歩一歩プロに近づく、あるいは、この今所属する劇団八時半がもっと大きな観客動員を実現するようになったら、もっと注目度が上がったら、テレビドラマからオファーが来るのじゃないか?小劇場出身のテレビ俳優、あの人やこの人みたいになれるのじゃないか?だからもっと効率よく、手っ取り速く演出が指示してくれて、ちゃんと自分の魅力を引き出してくれて、いいセリフを書いてくれて、笑えるように指導してくれたらいいのに。どうして主体的になれとか自分で考えて出せみたいなこと言われないといけないんだ……
もちろん例外はあると思う。こんなあけすけな発言ややりとりがあったわけでもない。上のは何年もかけてつきあった結果わかってくる、役者たちと私のすれ違い、ずれ、その手短なまとめみたいなものだ。
だけど要するに、私はさみしくなった。劇団は小さくなるし、劇団員同士のつきあいもうすいものになった。それは日本全国どこでも同じ流れを私も感じていただけのことだろうと思う。そもそも演劇に出るのに劇団に所属するのは損だ。そんな認知が多数派になった。チケットの手売り、赤字の分担、日常的なつきあい、すべてが負担だから、フリーになってお客様として招かれる「客演」の位置で出演するほうが楽よ。快適だし。
もともと演劇好きではない私が演劇にかろうじてつながっていたのは、そこに友だちがいるからだった。だけど労苦をともにしたがる私は友だちではない人にはうっとうしいものだったろうし、そもそもそれ以前に友だちはみんな去っていた。一緒に出演してくれる人はいたが、知り合い、にすぎなかった。都会にいればいるほど、そんな交際が増えるだけになってしまった。
いっそ、とそんな上昇などできるはずのない土地でやれば、仲間はできるのじゃないか?仲間、というのはつまり労苦をともにする友だち、のことだ。友だちと創る劇は、出来もいい。劇がよくなるための重要なポイントは、劇作りのそこに友だちがたくさんいることだ。
結局取材ではうまくしゃべれなかった気がする。記事では堅い高いエンゲキ的志が活字になって私がしゃべってるだろうけれど、私は今、一週間の合宿で濃密な友情をはぐくむチャレンジのさいちゅうだ。私の回復。それがそのまま劇の回復につながる。そう信じている。「秘密ひとつ。」というタイトルは、そういう劇作りの秘密をもう一回見つけたい、という欲の無意識の表明なのかもしれない。(劇作家 公認心理師 鈴江俊郎)
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上品芸術演劇団 26年3月のツアーは
「秘密ひとつ。」作・演出 鈴江俊郎。
◇今治市 波方公民館(愛媛) 3月21日(土) 11時・15時 2ステージ
◇ウイングフィールド(大阪) 3月23日(月)19時半・24日(火) 19時半 2ステージ
二人芝居です。出演 鈴江俊郎と沖縄から城間里沙子さん。

今治公演――
波方公民館2階第2会議室
前売一般 2,000円、当日一般 2,200円、学生(中学生以上)500円
主催 みかんの会 TEL090-5134-8412  imabarisg@yahoo.co.jp
(後援:今治市・今治市教育委員会・今治市文化協会)
360度のお客様のなかでおこなうストレート・プレイです。
https://shibai-engine.net/prism/webform.php?d=tsh5tm2t

大阪公演――
ウイングフィールド
前売一般2,500円、当日一般3,000円、学生(中学生以上)1,000円
主催 上品芸術演劇団 put.put.on.airs0926@gmail.com
270度のお客様のなかでおこなうストレート・プレイです。
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