今年は、これまで自然災害として扱われてこなかったものが、実質的には災害と変わらない規模で私たちの生活を脅かす出来事が相次いでいます。
たとえば今朝(21日午前5時半時点)、大分県大分市では大規模火災が発生し、すでに170棟が延焼したものの鎮火には至っていません。大勢の方が避難され、地域の中心が大きな傷を負っています。近年、これほど広域に及ぶ火災はまれで、地震を除くと2016年の新潟県糸魚川市での150棟焼損、その前は1976年の山形県酒田市での1,774棟焼損まで遡ります。町全体が一夜にして焼き尽くされるような出来事は、まさに災害そのものです。今後は「町をどう再建するか」という視点が求められます。
また、今年は熊による被害が過去最悪のペースで発生しています。報道では176件の被害が確認され、196人が襲われ、そのうち13人が亡くなりました。私が登録している東北のある町の広報LINEも、以前はイベント案内が中心でしたが、最近は「熊が目撃されました」という通知が頻繁に届きます。日常が脅かされる経験は、地域の方にとって災害に等しい恐怖と不安を生み出しているだろうと感じます。
さらに、広島県の牡蠣養殖業では8〜9割もの牡蠣が大量死する異常事態が報じられています。これは広島だけでなく兵庫県でも同様で、瀬戸内海全体の養殖業が深刻な打撃を受けています。関係者にとっては、まさに「経済的な災害」です。
日々の生活の中では、どれほど注意していても避けられない事故や不慮の出来事があります。保険や備えがあればまだ良いですが、そもそも保険商品が存在しない種類のリスクも少なくありません。既存の注意喚起や予防策では防ぎきれない“新しい危険”が、社会の多様化と気候変動の中で次々と表面化しています。
火災、熊の出没、水産業の打撃。あるいは、規模は小さくとも、事故・事件・個人的なトラブルなど、人生を大きく変えてしまう「災難」の出来事は多様です。「安心・安全な社会」を実現することがどれほど難しいか、今年は特に実感させられます。
被害からの回復がすぐに始められればよいのですが、実際には経済的・精神的な事情から踏み出せない方も多くいます。行政や業界団体による大きな枠組みの支援はあっても、個々の生活再建には、個人の状況に寄り添った“細やかな視点”が必要です。
つまり、災害級の困難に直面した個人が、再び自分の生活を取り戻せるよう、社会福祉の支援が重要になります。
特に現代は多様化が進み、一人ひとりの背景が異なるため、画一的な支援では届かない部分が増えています。経済面や住まいなどのハード面だけでなく、心のケアや日常活動の再建など、ソフト面にも配慮した支援が求められます。
人生を大きく変えてしまう出来事は、貧困、家庭内暴力、学校でのいじめ、事故・事件、失業、ハラスメントなど、自然災害以外にも多様です。それぞれが、個人にとっては大変大きな出来事であり、災いだと言えるでしょう。
このような個人の危機に対しては、大きな政策的支援だけでなく、
「一人ひとりの困難がどこにあるのか」「何が回復を妨げているのか」
にしっかりと目を向ける姿勢が欠かせません。
社会福祉は、高齢・障害・児童・生活困窮・外国人支援・地域支援・更生支援・災害支援など、実に幅広い領域にまたがっています。現代のように複合的な困難を抱える人が増える中では、分野ごとの縦割りではなく、横の連携を強めていくことが欠かせません。
一人ひとりの生活を守り、地域が回復する力を育むために、「支援の網の目」を細かくし、誰も取り残さない仕組みをつくること。
それこそが、これからの社会に求められる姿だと感じています。
