
ジョン・レノンの命日がやって来る。
12月8日(80年)でまだ少し先だが、凶弾に倒れてから半世紀近くになる。
12月になると、おれの心はジョン一色になる。ジョンの名曲「イマジン」や「ハッピー・クリスマス」などをしみじみと聴いてしまうのは今でも変わらない。
また、この日は今尚世界中のあちこちで追悼が行われている。これ程愛され続けているミュージシャンは他にいるだろうか。誕生日(40年10・9)も祝福されているが、メインはこの命日だ。もし生きていれば86歳になる。
それらの追悼は予め設定されたコンサート会場などは勿論だが、ステージもない公園や広場でも行われている。演奏者の周りには大勢の人が大きな輪を作り、ジョンやビートルズの曲を歌って楽しんでいる。その数は何百人ともなっている。
中心となっている演奏者はプロではなくファンや一般人のようだ。それぞれの人がギターやタンバリンを持ち寄り青空の下でワイワイガヤガヤと掻き鳴らしている。上手い下手など関係ない。楽器がなければ手拍子で、歌がうろ覚えなら掛け声やハミングもある。体中で自由気ままに表現すればいいのだ。
この人達には子どもの頃に卒業式で歌った「蛍の光」や「仰げば尊し」よりもビートルズの歌の方がお馴染みなのかもしれない。老若男女が集い、特にお年寄りが目立つのは、ビートルズ世代は80代前後が圧倒的に多いからだ。
思えば、ビートルズは何も難しいことをやっている訳ではない。だから多くの人が歌えるし演奏も出来る。なのにおれにはどうして出来ないのか。今回のタイトル「恋に落ちたら」の通り、ビートルズに全てを捧げてビートルズ愛に溢れている人達ばかりなのだ。年に一度のこの光景はまるでお祭りだ。おれはこの光景が大好きだし、この人達を愛する。何より、ジョンがこの人達を繋いで世界を一つにしていることに感謝する。この天才ジョン・レノンは裸の自分を全てさらけ出すことで、何をやっても肯定されて絶対的な支持を得る。もしおれが同じことをやったら即却下だ。それが凡人との決定的な違いだ。
今ではユーチューブで何でも見られる時代になった。これまで見たこともない60年代の(それ以前も)音楽シーンの殆どが見られるのだから堪らなくなる。
おれが子どもの頃は動くビートルズは見ることが出来なかった。雑誌などで写真を見るだけだったから夢が無限に広がったのかもしれない。来日公演(66年)は小5だったが、放映は9時を過ぎてからで眠くて途中でダウンしてしまっていた。ちなみにラストナンバーは「アイム・ダウン」だったから、今となってはとんだお笑い草だ。
また、当時は録画もなかった。一度見たらそれっ切り。だから見るのも真剣そのもの。その分それだけ心に強烈に焼き付いているのだと思う。
いずれにしても、おれは近年の音楽事情にはとんと疎い。というより、それでいいと思っている。それ位60年代の曲やビートルズ関連の虜になり、他は聴かなくてもよくなっているのだ。
ユーチューブの量は膨大だ。これだと一生楽しんでいける。今あるロックやどんなジャンルでも60年代が礎を築いていると言っても過言ではないと、おれには思える。
そんなことを考えると、おれも年をとったと痛感する。おれ達の時代は終わりつつあるのだと思うと、ますます60年代に思いを馳せてしまう。こんなことは若い頃は想像もしていなかったことだ。時代は変わっている。次の世代へバトンタッチなのかもしれない。
でも、それは仕方のないことだ。病は治るが癖は治らぬ。三つ子の魂百まで。全てがおれに当てはまる。もうあの頃に戻ることは出来ない。
今日も黄昏の公園のベンチに座っている。おれの旅はまだ長く続くと思う。日の当たる道を求めて歩いて行きたい。体に吹きつける海からの風は冷たく刺すように痛い。もうすぐ冬になる。おれの思いは何も変わってはいない。古い友達がいなくなっても明日を生きて行くだけだ。見飽きることのない夕日が沈んでも日はまた昇り明日になる。こうして自然に触れると心がスッキリする。同じことの繰り返し。これでいいのだと思う。
ジョンはいつもおれの心の中にいる。いなくなってもいつもすぐそこにいる。ジョン・レノンは永遠だ。
最近になり初めて思ったことがある。それは、ジョンには「おれ様のビートルズだ」というフシがあった。一方のポールは「世界中のビートルズだ」というスタンスであったように思う。そう考えると、ポールの方が大人だったんじゃないかという気がしている。
今となっては何を言っても始まらない。そんなことはもうどうでもいいことなのだ。
ありがとう、ジョン。おれは大丈夫だ。いつもジョンと一緒だから。
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