ビートルズ~オール・マイ・ラヴィング

川の流れは永遠に続く(撮影:塔嶌麦子)

みんな忘れた。すっかり忘れてしまった。
覚えているのは「ここどこ」だけだ。救急車での最期の言葉だった。病院に着いた時にはもう意識はなかった。彼女は頑張った。本当によく頑張った。
何だったんだ、おれがやってきたことは。暑い夏だった。毎日汗だくだった。あっけない終わりだと思った。
病院から家へ連れて帰って4週間足らず。酒田で彼女と暮らしたのは僅か10年だった。まさかこんなことになろうとは思ってもいなかった。何もかも全てが終わってしまった。
二人で最後に食事をしたことも二人で最後に出掛けたことも。観た映画、聴いたビートルズ、最後は何だったのか、何一つ覚えていない。夕日を見たのも彼女の印象はない。互いに無言だったからか。
「おはよ」「行ってらっしゃい」「お帰り」「いただきます」。当たり前だった二人の日常の全てが消えてなくなってしまった。
背中が痛いと言い出したのは2月だった。まだ雪が残っていた。食事も眠ることすら出来なくなった。「筋肉痛です」。町医者はどこも同じ診断だった。指圧やマッサージにも通った。救急車を2度も呼んだ。そんなことばかりが蘇る。
最初は2ヶ月の入院だった。日本海総合病院は酒田の町外れにある。毎日病院へ行った。「タクシーですぐに来て」と言うので初めのバスは止めた。
一日中彼女に付きっ切りで過ごした。夕方の病院からのバスはとっくに終わっている。タクシーが町へ着くと下りた。節約だ。家までの20分とぼとぼと歩いた。歩いている人は誰もいない。まっ暗だからいくら泣いても構わない。
心が張り裂けそうになる。彼女がそこにいる。当たり前だ。部屋は彼女のものだらけだ。戸棚には二人分の食器がある。なんとか気持ちを切り替えてもお前が出てくる。この部屋にいる限りは。
退院が決まり、2週間に一度の抗ガン剤投与の通院になった。この時は安堵した。有意義に過ごさなければと思った。が、それどころではなかった。具合が悪くて1週間に二度三度の通院となった。点滴や輸血で一日中かかった。抗ガン剤投与どころではなかった。再び入院することになった。
一緒になって2年が過ぎた頃だった。彼女は胃ガンになり手術をした。この時のおれには今どきの胃ガンは必ず完治するのだという強い確信があった。経過は順調で、5年経ち「これで卒業だね」と先生は太鼓判を押してくれた。それから2年位は平穏な生活が続いたのだと思う。勿論ケンカもした。
それが、こんなことがあっていいのか。いったいどこが筋肉痛だよ。日本海病院でも救急で診てもらったが、やっぱり筋肉痛だと帰されたのだ。
これまでのありとあらゆる全てが崩れる残酷な宣告だった。手術は出来ないということだった。「膵臓ガン」。治るはずがない。万事休す。だが、奇跡を信じた。そうするしかなかった。
目の前に彼女がいるというのに、どこか遠くへ行って見えなくなるのだった。ナニ、おれがウトウトしてただけだよ。介護ベッドにいつもいた彼女がいなくなった。部屋はガランと広く感じた。テーブルには痛み止めの麻薬やら10袋以上も置いてある。点滴の輸液はまだ手付かずの一箱10日分が残っている。薬局へ電話した。浴室にでも流して捨てて下さいと言う。これで人の命が救えるのではないのか。未使用だというのに。
点滴の機材、酸素ボンベ、車椅子など、もう見るのも忌まわしく思えてすぐに引き取りに来てもらった。介護ベッドの業者が「奥様との思い出として暫く置いておく方もおられますよ」などと抜かしやがった。「うるさい。もう要らないからあんたを呼んだんだ」。おれは怒り狂っていた。イライラしていた。死ぬと分かっている闘病とは何なのか。自分でも分からないモヤモヤした気持ちが一気に噴き出したのだと思う。部屋はすっかり何もなくなってしまった。
病院での彼女は日に日に耐えられなくなっていた。もう見ていられない。おれは意を決してドクターに言った。「抗ガン剤投与など全て止める。家に連れて帰ります」と。ドクターは「相当な負担になる。一人では無理だ」とおっしゃる。おれはそれこそ強い覚悟で決断したことだ。ぶっ倒れてもいい。彼女と二人で決めたのだ。もう何を言われても気持ちが揺らぐことはなかった。
誰もいなくなった。本当に一人になってしまった。おれの気持ちはおれだけのものだ。誰にも分かるはずがない。それでいい。一日の終わりはそんな気持ちに決着をつけるために飲む。それしかない。全てが終わり、もう何もないのだ。杯を重ねる毎に気怠く弛緩していく。思いが遠のいて行く。視界がぼやけて霞んでくる。涙でいっぱいになっている。お前はもういない。起きていてもしょうがない。そう思いながら寝る。枕に顔を押しあてながら。
このふるさとの酒田で、彼女はおれの心に何よりも強烈な印象を刻印した。おれの酒田は悲しみだけのサイテイな町になった。「おれはサイテイだ」とよく言う。口癖なのだ。「それ止めて」と彼女は言った。「サイテイと言ってしまうと楽なのよ。私は嫌」と。なるほどと思っていたのに、彼女は死んで、本当にサイテイになってしまった。
何でも二人で決めてやってきた。でも、責任はおれにある。彼女は後悔はしていないはずだ。したくてももう出来ない。死んだのだから。生きている人だけが後悔を背負う。
忘れてしまったことは大したことではない。大事なことはみんな覚えている。忘れるはずがない。当たり前だろ。そんなことあるもんか。
—————————————
斎藤典雄
山形県酒田市生まれ。高卒後、75年国鉄入社。新宿駅勤務。主に車掌として中央線を完全制覇。母親認知症患いJR退職。酒田へ戻り、漁師の手伝いをしながら現在に至る。著書に『車掌だけが知っているJRの秘密』(1999、アストラ)『車掌に裁かれるJR::事故続発の原因と背景を現役車掌がえぐる』(2006、アストラ)など。


Warning: Use of undefined constant php - assumed 'php' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/canaria-club/www/wp-content/themes/mh-magazine-lite/content-single.php on line 21

Warning: Use of undefined constant php - assumed 'php' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/canaria-club/www/wp-content/themes/mh-magazine-lite/content-single.php on line 30