
昔の秋に戻ってほしい。
9月になったのにとんでもない残暑が続いている。近年の天候はこれまでの概念は通用しなくなった。
「サマータイム」(68年)。ジャニス・ジョプリンを久しぶりに聴いた。この歌は彼女を一躍世に知らしめたヒット曲だ。27歳で急死したがロックの女王と言われていた。
サマータイムは子守り歌だ。しんみりしっとりは勿論、ロックならではのありったけの愛を込めて全身全霊で子どもを諭し熱唱しているのだ。「駄目だよ、駄目。NO、ノー。ダメ、だめ。泣くのはもうお終い」と。これこそが心の叫びで、正に荘厳と言うべきだろう。
当時の女性ロックボーカリストといえば、「あなただけを」の大ヒットで有名なジェファソン・エアプレインのグレース・スリックもいたが、ジャニスには常識外れの迫力があった。掠れたハスキーボイスとダイナミックなシャウトには度肝を抜かれるしかない。なにしろ桁違いだったのだ。
遺作となった「パール」(71年)のアルバムには「生きながらブルースに葬られ」というインストルメンタルだけの曲が収められている。ジャニスの歌はないのに、高校生だったおれは泣きながら聴いた記憶がある。ジャニスはこの曲の歌い入れ(録音)当日に死んだということだった。
まだまだこれからだったのに、波乱に満ちた短すぎる人生だった。ジャニスは孤独と絶望、疎外感、そして自由の全てを歌に込めてこの世を去って行った。
ジャニスも出演したウッドストック・フェスティバル(69年)は愛と平和のとてつもない祭典だった。ロックやフォークの30組もの超豪華メンバーが参加して、40万人もの観客が詰め掛けた。そこには出産もあり死者も出た。まだ子どもだったおれはただ呆然とするばかりで何がなんだか訳が分からなかったが、漠然とした大きな夢があった。世界中の新しい全てがここから始まるのではないかという期待があった。
ジャニスは自分の全てをさらけ出しているように見えた。当時の女性としては珍しかった(おれが知らないだけかも)。パワー炸裂、狂ったようにシャウトする彼女を見て、「そこまでやるか」と思った。上手く言えないが、子ども心にどこか恥ずかしさを感じていたのだと思う。人にはない、人とは違う何かが人を惹きつけるのだと思った。それが多くのファンの胸を打ち、魅了して心に残る。そして絶対的な支持を得る。
ロックは自分をさらけ出すことだ。他とは一線を画す。どんなに突拍子がなくても奇抜でも構わない。自分が「これだ」と思ったことはとことんやる。それがエンターテイメントでありパフォーマンスだと思う。あとは人の受け取り方次第だ。
ジャニスの発言を何かの本で読んだが、「自分は有名になりたいとは思ったことはない。その気持ちを歌っているだけだ」と。何だか意味深でよく分からないが、とにかく歌で表現したかったのだろう。
ジャニスの一番有名な曲といったら「ムーブ・オーバー」だろうか。邦題は「ジャニスの祈り」(71年)だ。
「終わったんだ、まとわりつくな
どっか行けよ
人生どうすんだ
ふらついているだけか
お願いだから止めてくれ
放っといてくれよ」
これも力強く美しい曲だと思う。それにしても、ジャニスに限らず皆おれの気持ちを代弁してくれている。なんともありがたく、心が晴れる。これだから止められない。
これもまたおれが知らないだけなんだろうが、今の時代で言えばジャニスのような女性ロッカーはシンディ・ローパーぐらいか。日本でいえば化粧だけは女性だが、故・忌野清志郎をおいて他にいないと思っている。
ジャニス没後半世紀以上になるが、改めてご冥福をお祈りする。
♪残暑は続くよ、どこまでも
野をこえ山こえ谷こえて~
今夏は遥か北海道ですら猛暑だった。これではもはや避暑地とは言わない。この暑さじゃ楽しい旅もぶち壊しだよな。もう放っといてくれ。
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斎藤典雄
山形県酒田市生まれ。高卒後、75年国鉄入社。新宿駅勤務。主に車掌として中央線を完全制覇。母親認知症患いJR退職。酒田へ戻り、漁師の手伝いをしながら現在に至る。著書に『車掌だけが知っているJRの秘密』(1999、アストラ)『車掌に裁かれるJR::事故続発の原因と背景を現役車掌がえぐる』(2006、アストラ)など。