いじめられっ子反戦派宣言

イラスト:あきやまののの

八月。終戦記念日。原爆投下で多くの市民が殺された。空襲で焼け出された。兄は戦場に行って帰ってこなかった。ソ連参戦で逃げ惑った。そういう報道が急に多くなる、季節の報道、流行のような深刻ぶった顔の連発を見る季節だ。

しかし、私はどうしても違和感がある。まとめるとふたつだ。

ひとつ。被害の歴史は語られても、加害の歴史は語られないこと。まるで太平洋戦争は被害の日々だったらしい。だから繰り返してはいけないらしい。しかしもっと期間が長いし、量が多いし、質も深刻なのは加害行為のほうだ。ナチスドイツがどのようにして、どのような量のユダヤ人を殺したか、を説明する記述はたくさん目にしても、日本の帝国軍人がどのように中国人を殺したか、の記述は少ない。さらにほしいのは、我々の父祖がファシズム体制を合法的にえらびとり、積極的に支持したという記述だ。そして、多くの兵士はアジア太平洋に出かけ、自分の手で殺し、焼き、奪った。日本人の死者よりアジア太平洋での死者のほうが格段に多いという事実を、「まきこんだ」と消極的に表わすのは婉曲というよりは欺瞞に近い。兵士は殺したのだ。天皇を最高権力者とするファシズムの国体は民主主義の体制の中から生まれた。だからこれからも生まれていく可能性があるのだ。産むのは国民。我々だ。それを記述しないではなにも始まらない。

ふたつめ。今は次の戦前か?と遠慮がちに問う記述がせいぜいだ。しかし、私は、確信している。今は、次の戦前だ。それは悲しい断定だ。けれど感覚は私にそう語ってやまない。いや一般化するのはおかしい、感覚をもとに断定するのは早い、そう理性は語る。しかし私の感覚はどうしても確信している。それを否定できない。そして、こういう確信を抱えている人は実は多いのではないか、とも私は感覚している。今回、私はあえて感覚を語ろう。

どんな感覚か?いじめられっ子の感覚だ。私は小学校五年から中学二年の三年間のうち一年半は教室の中でカースト最下位だった。もしかしたらいじめられっ子としては生やさしい部類だろう。少年期一貫してそうだった人だって珍しくない。

けれどそんな生やさしいいじめられっ子体験ですら、ひとつの知見をもたらす。世界の見方があの日から一変する。きっかけひとつで、世界は、人間は、ひどいものになるという知見だ。

教室が、いつの間にか地獄になる。ひとりの子供にとって選択肢がほかにはない閉鎖社会で、全員に見下され、からかわれ、パーの手で頭をたたかれ、きっかけもなく罵声を浴びせられる。そんな日が、実際に来た。どんなにいい友も残忍になった。笑顔で実行した。誰もこの悲しみを理解してくれない。助けてくれない。孤立。世界でたったひとり。どんなに美しい文学も、絵画も、実際に見たあの日々のあの世界の記憶のむこう側にある限り、空虚な絵空事だ。ナチスを経験した後では人類は美を語れない、と誰かが言った。私の感覚にはぴったりくる。

大げさに語るな、という人がいるだろう。そんな人には、私が証拠だ、と反論しよう。大阪府茨木市のあの小学校のあの六年一組の教室で五〇年前、それは起こった。地獄は、そこに、あった。教員も母も父もいた。けれど誰も手を差し伸べなかった。誇張などないとほかでもない、私は知っている。その当事者なのだから。

なにが地獄か。人はだれでもいじめの構図に加担する、ということだ。人は、自分の身を守るためなら、だれか少数者を排除する。少数派から見れば、それは日常の景色だ。

いじめの構図の中で実行者はひとりふたりのいじめっ子だ。多数のふつうの子は傍観する。そしてこの傍観者たちこそ、このチームプレイの主役なのだ。見ていながら手を差し出さないのが多数だから少数の実行者は躊躇なく実行する。被害者の感情をクラスメイトの多くはちょっとくらい想像できている。善良なのだから。けれど自分に順番が回ってこないように祈るだけで、見守る。そして、徐々に、暴力への抵抗感はうすれ、暴言は日常化する。誰もが実行者に変化する。楽しみながら、笑顔で。罪悪感が少しでも残っていれば泣いてる少年においうちをかける笑いは教室に起こらないはずだ。しかし笑顔は教室に満ちていた。

繰り返すけれど、誇張はない。私の体験だ。

ファシズムは民主主義の中から生まれる。外からではない。民主主義を母として、ゆりかごとして育つのがファシズムだ。つまり民衆が支持しないとファシズムは生れない。民衆はどのようにして支持するのか?あのようにしてだ。すべての教室は縮図だ。そして実験室だ。

いじめの体験は、そのからくりを実にゆっくりとわかりやすく、自分の身を通して学習させてくれる。いい歴史教育の場になっている。狂気にとりつかれた一部の権力者が軍国主義なのではないことがよくわかる。加害の体制は、正気で善良な大量の庶民が笑顔で支持するから残虐になる。小さな残虐行為を見て、スルーすることを積み重ねて。その小さな蓄積がいつの間にか制御不能な大きな山になる。

この図式は日本中で再現されている。いじめの件数は現在も増加の一途で、子どもの自殺も毎年過去最高を記録している。子どもの死因のトップは自殺だ。子どもたちは、教室で今も毎日ファシズムを体験学習している。加害者の立場で、傍観者の立場で、被害者の立場で。今が戦前だ、と感覚してる人は、だから多いはずだ。だけど言わない。自分が異常だ、誇張してる、とか思われたくないから。トラブルは避けたい、面倒だからだ。元いじめられっ子だってまだまだ自分の身を守りたい。それを感覚として皆が共有しているのは間違いない。そして無理もない。

そして私は、二〇二一年、さらに思い知らされた。この国は、多数派が見殺しの行動に堂々と踏み出す段階まで来たことを。何回も書くけれど、『明日のハナコ』という高校演劇台本が高校演劇連盟に排除された事件だ。排除の主犯は福井県のチンピラみたいな校長個人だったが、福井県の十三人の平凡で善良なる教諭たちが沈黙した。傍観者ではなく、排除の決定をする実行者になりあがった。それを全国高演協の理事たち、つまり全国区の高校教諭たちも抗議しなかった。沈黙した。さらに日本劇作家協会の理事たち、日本演出者協会の理事たちも。さらに個人的に知り合いのほぼすべての高校演劇部顧問たちも私の呼びかけを無視した。

小さな問題だ、というのだろう。福井県のことであって私のことではない、と。社会全体のことじゃない。たった数人の小さな集団のことだと。しかし小さな集団の排除だから怖いのだ。少数派だから多数派は傍観する。次に権力は別の少数派を……図式はいじめと同じだ。それは二〇二一年、ついに教員の公式の団体の図式にもなった。私は目の前でつぶさにまた体験した。私個人の感覚的な確信は、さらに強くなってしまった。だけどそれは無理もないことでしょう?

今回の文章は感覚を語っただけで、申し訳ない。けれど、ここにいじめられっ子体験者がいて、彼はだからこそファシズムの到来は間近だと感覚していて、そして実は同じ感覚をもつのがサイレントマジョリティではないかとも感覚しているということまでは、あまり誰も世に問うてこなかったのではないかと思う。

私たちは「いじめられっ子反戦派」だ。絶望は深い。だけど、まだ、あえて、呼びかけたい。万国のいじめられっ子諸君。立とう。面倒なトラブルになるけれど、声をあげて止めよう。素直に感覚してることを語ろう。トラブルなく進行させるのはくやしい。ごまめの歯ぎしりでいいじゃないか。まだ遅くないと信じよう。(劇作家 公認心理師 鈴江俊郎)


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