
食は大事だ。食べなければ死んでしまう。
近年は物価高続きでこの先の不安は増すばかりだが、買っては食べ、食べては買っている。思うに、食は何より自然環境が整わないと成り立たない。魚も不漁続きで年々獲れなくなっているが、これは地球温暖化による海の変化が原因らしい。食を安定させるには自然を守ることが重要だ。それはおのずと分かる。海は青い。空も青い。全てが自然だ。自然は国民の財産でもある。
酒田沖で獲れる魚といえば、春は主にサクラマスと口細ガレイが挙げられる。どれもお祝い事には欠かせない。サクラマスは山形県の県魚に指定され、極上の味だが、近年は滅多に獲れなくなった。
口細ガレイはマガレイのことで、東京ではマコガレイが重宝され、口細ガレイは見向きもされないと聞く。酒田とはまるで逆だが、海の環境で魚の味が違うからだ。
初夏にはスルメイカとマダイなどだ。酒田はイカの町として特に力を入れている。毎年6月にはイカ釣船の出航式が市を挙げて盛大に行われる。大音量の演歌を流し、家族が色とりどりの紙テープを手にお父さんとの暫しの別れを惜しむ。見ているおれはこれだけでもらい泣きをしそうになる。船はイカを追いかけて北上する。3年前には港の近くに「イカ恋食堂」という店が開店して繁盛している。
マダイもお祝い事に付きものだが、この上ない上品な味だ。味とは別に、釣れた瞬間の美しさといったらない。キラキラとした輝きは他の何にも例え難い。優勝力士がタイを手にするのはお馴染みだが、その頃には色が変わり白っぽくなっているのだ。
夏といったら岩ガキだ。天然なので濃厚な味がする。海のミルクと呼ばれ、養殖とは違い天下一品といえる。酒田の海は荒れることが多いので養殖には不向きだと言われている。でも大丈夫。食べる時は和食だ。ここで笑ってほしい。
イガイという真っ黒な二枚貝がある。同じく黒いムール貝の数倍はデカイ。これは茹でるだけで最高に旨い。みそ汁で、という人もいるが、大きすぎてお椀には入らない。一昨年のことだが、海水温の上昇でこのイガイが茹だってしまい口を開けて全滅したという。貝は魚と違い、遠くへ逃げることが出来ないからだろうか。そんなことはさておき、「私は貝になりたい」は無理だ。おれは何でもすぐに白状してしまう。一人で食べるのは味気ないったらありゃしない。
秋になるといろんな魚が獲れるようになる。魚は人間が食欲の秋だというのを知っているとしか思えない。鮭は群れをなして南下して来るし、ヒラメやサワラ、アジ、カニなどがわんさか獲れる。トラフグもたまに見る。フグは調理に免許がいるが、おれは自分でさばく。自己責任で、漁師さんは皆そうしている。
冬はハタハタの大群が押し寄せてくる。港の岸壁には太公望が足の踏み場もない位の大賑わいとなる。この光景は冬の酒田の風物詩となっている。すぐにバケツ一杯になり、漁師さんより釣り上げたりする。
そして、厳冬の寒ダラだ。酒田では毎年1月に吹雪の中で「寒ダラ祭り」が開催される。その寒ダラ大使なるものにゴダイゴというバンドの「タケカワユキヒデ」が任命されていて、寒ダラとは関係ない歌なのに「ガンダーラ」という歌を披露しにやって来る。タラは魚偏に雪と書く。もうこれだけで趣がある。
このように酒田の漁場が豊かなのは、海の近くに鳥海山などの山があるからだと言われている。山に降り積もった雪が大量の伏流水となり海へ流れ出す。そこにプランクトンが発生して餌となり魚が集まる。これが旨さ抜群の魚を育んでいる所以だ。
酒田の漁場の庄内沖(酒田、鶴岡、遊佐)は日本一小さいのではないか。地図で海岸線を見れば一目瞭然だ。それでも獲れる魚の旨さは日本一かもしれない。それは、皆が自然を大切にして生きているからだと思いたい。
おれはJRで乗務員だったので勤務が不規則だった。食事の時間は毎日違っていた。酒田に戻ってからは規則正しい生活をする。特に食事だけはと決めていた。それが漁師さんとの偶然の出会いで、もう10年以上殆ど毎日が魚の食事になっている。いいのか悪いのか。悪いはずがない。
若い頃はパンとインスタントラーメンばかりの時もあった。今は止めて魚ばかりだ。
「パンとラーメン、やめてニクニク、食べるモリモリ、だけどびんぼう、やっぱりびんぼう、びんぼうきりなし」。「びんぼう」(72年)という大滝詠一(はっぴいえんど)の歌だ。高校の頃大好きで夢中になって聞いていた。
小学生の頃は、「星よりひそかに、雨よりやさしく、いつでも夢を」という歌が流行っていた。この頃は、おばぁさんがリヤカーに魚を積んで一軒一軒家を回り売り歩いていた。時代は変わったが、食が大事なのは昔と同じだ。未来永劫変わることはない。
いつまでも落ちこんではいられない。夢は大きく持って、楽しく、何より健康第一で。