見つめよう。

イラスト:あきやまののの

見えているものと、実際のものは違う。いや、正確に言うと、見えていると思っているものと、実際のものは違う。
これは別に思想の難しいことを言っているのではなくて、誰でもちょっとそのへんのものを見てたら気づく「目で見る」作業のことだ。
高校生の頃、友人と言い争いになった。彼は「目の玉は前にとびでてる」というのだ。私は「目の玉はひっこんでる」と言い返した。まぶたの皮、まつげ、が前方にせりだしていて、眼球はその奥の位置におさまっているのだ、と。
「そんなことない。目の玉はほっぺたの上で、ほっぺの皮より前にもこってとびだしてる」と友達は言い返した。
「じゃ、今見て見ろよ。俺のを。ほら。へっこんでるから。」
彼は「失礼」と言って私の目を、顔をしげしげと見た。そして言った。「ほら。でっぱってるやん」
「ちょっと待ちいや。じゃ真横から見てみなさいよ。」
彼は横から私の顔を見た。じーっと見た。「あれ。目の上の皮のほうが前にでてるな。」
「それ、まぶた、な。」
「目の下の皮のほうが前にでてるな。」
「それ、したまぶた、な。」
「うわ。ほんまや。おまえ、目の玉ひっこんでるぞ。」
「おまえのもそうやって。」
「おまえの顔おかしいで。」
「おかしいことないわ。ふつうじゃ。」
彼は、そうやって気づいたのだ。17歳になるその日まで、彼は目の玉あたりの立体的な高低がよくわかっていなかったのだ。

つい先日、大学の演劇専攻で教えた学生と話していたら、彼が言った。
「鈴江さんの演劇実習の課題でデッサンして来い、って言われたの忘れられません。」
そんな課題だしたかな。デッサンってなんだ。こいつが出てたのは戯曲創作法、演劇上演実習、演劇概論、だ。私は絵の先生じゃない。
「舞台装置の打ち合わせしてて。『どんなのにしたいか、口じゃなくて絵にして説明してよ』って先生が言って。僕ら学生はうまくかけなくて。『どんなものがほしいかおおざっぱでもええのに、そんな絵にもでけへん奴が装置なんかつくる資格なし。劇場さわらせへんぞ』、って怒って。」
そんな怒りんぼだったかな。私は、学生と距離が近い、親しみやすい若き先生だったはずだ。それで授業受けてる全員がデッサン描いてくることになったそうだ。彼は何でもいいから独学の写実画を必死に描くことになった。「見たものを、そのまま線にしろ。これは花瓶だからこういう形だ、って先入観は捨てろ。脳みそで描くな。目で描け。そしたら、こんなとこにこんな線あったんか、って気づくから。それがデッサンだから。」と私は言ったらしい。そこらあたりから、うっすら私の記憶がよみがえってきた。そうだ。先入観まみれの学生たちに、演技ができるか、世界が表現できるか、と私はいらだっていたのだ。
今その卒業生の彼は、車の運転免許は持っていても、運転はしない主義らしい。せいぜい自転車。車で通過すると道端のネコジャラシに気づけない。電柱の傷にも気づけない。見えないものが多いと生きてる価値を損なうような感じがするらしい。
テーブルの上のペットボトル。窓から見える電線のある風景。こんなのと1時間も2時間も睨めっこして描いた、あの課題。――2時間見れば見えてくる傷、皺、曇り方の違い、等々に私はただただ驚かされて立ち尽くした――と、彼はいまやノンプロで脚本を書く人になり、文学的にそう語ってくれた。

そうだ。私は逆に初心に立ち返らせてもらった。ペットボトルを必死で二時間見つめたって一円にもならない。電柱の線がどんなふうに垂れ下がって家の屋根をかすめ、空に傷をつけているのか、気づいたところで一円にもならない。だけどその一円にもならない作業が、美術の初心だし、芸術の初心じゃないか。
人はどんなふうに泣くのか。人はどんなタイミングで泣くのか。それを見もしないで決めつけてやるから泣く演技は臭くなる。型にはまって大げさになる。リアルな人の泣き方、っていうのを私は何回も注意深く見てきた。気づいたのは、人は、人の見てるところでは泣かないように頑張るってことだ。だから、いよいよ決壊して泣いてしまう時は、多くの場合、ただ、だまる。間ができたら悪い、と思う真面目な人は声が突然裏返る。小さい子は絵に描いたみたいに「えーん」とか「あーん」とか声を出すから一気にかわいらしさが爆増しておもしろくなってしまう。それはやっぱり大人に面倒見させるために進化の過程で手に入れた彼らの生存適応手段なんだろうか。
人は、一人一人がリアルに生きている。それをデッサンするようにのぞき込むと、そこに「地球より重い」って言ってもいい、ひとりの価値が見えてくる。のぞきこまないと見えてこないのだ。特別優秀でもない、貧乏な中年の男子が、薄汚いアパートの一室で泣く、そんな夕方がある。よく見ないと、うすぎたないなにかだ。けれど、立ち止まって見よう。見つめてみよう。
隣人には、価値がある。私たちには、価値がある。世界には、価値がある。(劇作家 公認心理師 鈴江俊郎)


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